デジタル版「実験論語処世談」(43) / 渋沢栄一

3. 長州人は党を組む質

ちょうしゅうじんはとうをくむしつ

(43)-3

 茲に掲げた章句にある「」は、今日の政友会とか憲政会とか国民党とかいふ如き政党の「党」とは全く其の意義を異にし、互に非を隠して結び合ひ、之によつて各自の利益を計らうとする事で、我が仲間以外の者は之を排斥し、何事でも我が仲間だけで行つてゆかうといふ同党伐異の精神が、是れ即ち党心である。この党心が薩長の人達には頗る強いのだ。殊に長州人に於てそれが強いかのやうに思はれる。薩長の人達は同国人ならば仮令之に非行があつても無理に掩蔽して隠さうとし、力めて之を公けにせぬやうにする。又、人を用ゐるに当つても、同等の力量ぐらゐのものならば、先づ同国人を先きに用ゐるやうにするのが薩長人の特色だ。然るに旧幕の人達は全然之れの反対で、至つて党心少く、非を隠してまでも仲間の栄達を計らうなんかといふ私心が無かつたもんだから、維新後になつても甚だ振はず、薩長人に押し込められるやうな事に成つてしまつたのである。伏見鳥羽の戦争なんかでも、薩人に強い党心があつて、うまく団結し、衆議一途に出で得られたから勝つたもので、若し薩人に強い党心が無かつたら迚もあの戦争をしても勝てなかつたらう。
 長州の毛利元就が臨終の際に子息等を寄せ、十本の矢を束ねて之を折るべく命じ、その到底折り得られざるを見るや、それを題材にして団結力の偉大なる力ある所以を遺言した一事は、小学の読本にまで載つてるほどで有名な逸話だが、長州人は那的元就の遺訓を誰でもみな能く守ることに骨折り、非常にそれを尊崇して居るのである。随つて長州人は薩州人よりも一層団結力に富み、党心が強くなつてるかの如くに見受けられる。全く長州人は団結力の強い人達だ。蓋し元就の遺訓が之を然らしめたものだらう。開国論の方から謂へば幕府方が素と早くより之を主張したもので、長州が開国論に傾くやうになつたのは伊藤、井上など泰西から帰つてきた連中が開国を説き出してからあとの事である。然るにも拘らず、開国になつてからの維新後に、幕府方の人達を押し除けて、其勢力を張り、明治の政治舞台へ活躍し得らるるやうになつたのは、全く長州人に党心があつて団結力の強い為である。薩州とても長州に比してこそ開国論に於て稍古くはあれ、幕府に比すれば猶且晩いのだ。長州にしても薩州にしても、維新後に至つて勢力が昂がつたのは、泰西の文明を早く取り入れたからで無い。全く仲間の非を隠して助け合ひ、同国人を用ゐ合ふ事に力を入れ、飽くまで党を樹てて団結を強くしたからである。

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デジタル版「実験論語処世談」(43) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.333-339
底本の記事タイトル:二八一 竜門雑誌 第三六九号 大正八年二月 : 実験論語処世談(第四十三回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第369号(竜門社, 1919.02)
初出誌:『実業之世界』第16巻第2号(実業之世界社, 1919.02)