デジタル版「実験論語処世談」(44) / 渋沢栄一

2. 大正八年元旦試筆

たいしょうはちねんがんたんしひつ

(44)-2

 私は、斯く神仏に祈禱を致さぬからとて、神社仏閣を粗末にするかといふにさうでは無い。お互に人間同志に於てさへ恭敬を尽さねばならぬといふのが是れ人の道である。殊に我邦に於ては、畏れ多くも聖上御一人及び之に御近い皇族の御方々に対しては、之を普通の人間を超越したものとして崇敬せねばならぬのが道である。随つて伊勢の大廟に対しても、私は勿論崇敬の意を表するが、その他の神社仏閣とても人間以上の何ものかが其中に在します事に成つてるのだから、之を崇敬するのである。現に私が住んでる王子の町にも七社神社とか王子権現とかいふ鎮守神があるので、私は之を崇敬して居る。然し生れて以来、未だ曾つて利福を神仏に祈つたことは断じて一度も無い。私は何事も天授であると思つて、天道に合し人道を履んで過まらぬやうにとのみ心懸けて居るのである。
 普通の順序から謂へば、私は三十歳前に既う死んでしまはねばならぬ体軀である。実際又私は三十歳後までも生命があらうなぞと思つて居なかつたのだ。然るに意外にも長命して、本年(大正八年)は八十歳を迎ふる事に成つたのである。これは私が神仏に祈願を懸けたからといふわけで無い。全く天の授けて下された天寿である。依つてこの正月元旦には斯んな詩を一首作つて之を元旦試筆として書いて試た。
    己未元旦試筆
四海雲収旭日新。 辛盤依旧賀佳辰。
残軀殊憶天恩渥。 迎得昇平八十春。
 つまらぬ詩ではあるが私の、胸中を披瀝したもので「四海雲収旭日新」の一句のうちには、世界戦争も昨年の暮で終結し日本も之によつて世界の大舞台へ乗り出すやうに成つた悦びの意を述べてある。「辛盤」とは屠蘇に用ひる道具の事だ。それから「天恩」とは無論「天朝の御恩」の意味であるが、同時に又八十歳の天寿を私に仮してくれた「天の恩」にも引つかけた積りである。唯に寿命の長短のみならず、世の中の事は、何に限らず皆天授で、人間が如何に焦慮つたからとて如何に神仏へ祈願を籠めたからとて、運命を如何ともする能はざるものだ。早い話が、子孫の善悪なんか、実際人力で如何ともし難いでは無いか。これも畢竟するに親に行届かぬところがあるからだと申せば爾うも謂へようが、如何に注意して育てても、悪くなる子孫は猶且悪くなる。人事万端皆天授で、天気が時に雷霆を起したり、時に日本晴に成つたりするのと毫も変りは無い。祈願によつて天気を変へる事ができぬのと同じやうに、祈願によつて天授の運命は迚も変へ得らるべきもので無いのである。
 されば私は之れまで自分の関係した会社の事業が旨く発展して、良成績を挙げ得らるるやうにとか、或は又第一銀行が世間より信用を得らるるやうにしたいものであるとかと、自分で自分の心に望んだり祈つたりした事はあつても、苟も幸運の授かるやうにと自分以外の何物にも祈つた事は無いのである。伊藤公や井上侯なんかもこの神信心といふ事は一切せぬやうだつたが、大隈侯なんかにも爾んな様子は見えぬ。然し会津の藩祖で土津公と称せられた松平正之公、それから前条にも一寸申述べて置いた白河楽翁の松平定信公なぞは、熱心に神仏を信心した方々で、いろいろと祈願を神仏に懸けられたものである。

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大正八年, 元旦, 試筆
デジタル版「実験論語処世談」(44) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.340-345
底本の記事タイトル:二八三 竜門雑誌 第三七〇号 大正八年三月 : 実験論語処世談(第四十四回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第370号(竜門社, 1919.03)
初出誌:『実業之世界』第16巻第3号(実業之世界社, 1919.03)