デジタル版「実験論語処世談」(44) / 渋沢栄一

4. 古英雄と岩崎・大倉

こえいゆうといわさき・おおくら

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 人間は苟も奢侈贅沢に流るるやうな事があつては相成らぬ事に就ては、越王勾践の智臣で、偉い大金満家になつた陶朱公の家訓などにも詳しく之を教へ、一寸の糸、半片の紙と雖も決して疎かに致すべきものに非ざる所以を説いてるのだ。昔からの英傑で倹約を重んじた人には家康がある。太田錦城の著した「梧窓漫筆」の中には信長、秀吉、家康の三人を比較して批評した一節があるが、何うも秀吉は家康と違つて傲奢に流れ、不遜に陥る弊のあつたことを述べ「天性驕奢にして開国創業の道を知らず……大度寛容の処は信長と格別なり」と申して居る。そこに至ると信長は秀吉の如く傲奢を競ふやうな事を為さず、至つて倹約で宜しかつたのだが、これは又秀吉と違つて偏狭なところがあつたのだ。家康に至つてはこの両者の欠点なく、秀吉の如く驕奢にも流れず、又信長の如く固陋偏狭にも陥らず、中庸を得て居つた人物であつたかのやうに思はれる。無益の衣食住に驕奢を傲り、得々たる如きは天物を暴殄するといふもので、損するのみにして、益する処は毫も無いのだ。
 私の知つてる古い人のうちでは、岩崎弥太郎氏なんかが、孰れかと謂へば傲奢の振舞ひをした人だと目せらるべき部類に属する人物で、何事でも総て大袈娑にやる癖あり、一寸客を招くにしても必要以上に多数の芸者を聘ぶといふ風であつたから、一見したところ如何にも傲奢に見えたのである。それから今の大倉喜八郎男なんかも、世間からは贅沢な人であるかのやうに想はれ、又実際に傲奢であるとも言へようが、あれで大倉男は締まる処には却〻よく締まる人で、或る点には倹約の度を過ごして吝嗇なところがあるんでは無いかと外間からは疑はるるほどのものだ。岩崎弥太郎氏にしたところで、驕奢を競ふやうに見えて、その実却〻倹約に引締まつたところのあつたものである。
 総じて自分が辛苦艱難し、汗水を流して厘毛からの算盤を弾き、自分の力で自分の産を成した人は如何に贅沢に流れ、驕奢を競ふやうに外間からは見えても、徹底的に底抜けの贅沢や驕奢は迚もできるもので無いのである。何処かに引締つた倹約なところがあり、天物を暴殄せぬやうにと心懸くるものだ。一向に前後を考慮へず、思ふがままの贅沢を仕尽し、底抜けに成つて馬鹿な驕奢を競ふのは、親譲りの財産を持つた資産家に限られたものだ。自分が汗水を滴らして積み上げた資産だとなると、その貴さを自分で能く弁へて居るから斯く成るのが当然である。神戸の光村利藻とか申した人は、写真道楽やら名妓を根曳したりするので一時有名であつたが、あの人などが本当に徹底的な底抜けの贅沢をした男だと云へるだらう。随分沢山あつた親の遺産を極僅かばかりの間に皆使ひ果してしまつたらしいが、あんな贅沢は親譲りの金銭だからできたので、いくら岩崎でも大倉でも自分の拵へた金銭を使つては、迚もあアいふ底抜けの馬鹿な贅沢を仕尽すわけに行くもので無い。自分で産を作つた人には何処にか根柢まで驕奢になり得ぬ固いところのあるものだ。

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デジタル版「実験論語処世談」(44) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.340-345
底本の記事タイトル:二八三 竜門雑誌 第三七〇号 大正八年三月 : 実験論語処世談(第四十四回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第370号(竜門社, 1919.03)
初出誌:『実業之世界』第16巻第3号(実業之世界社, 1919.03)