デジタル版「実験論語処世談」(44) / 渋沢栄一

5. 両国の即易平沢左内

りょうごくのそくえきひらさわさない

(44)-5

子曰。君子担[坦]蕩蕩。小人長戚戚。【述而第七】
(子曰く、君子は坦にして蕩々たり。小人は長に戚々たり。)
 茲に掲げた章句にある「蕩々」とは胸中のひろびろとした寛広の容貌を指したもので、「戚々」とは憂懼して心配する容貌をいうたものである。君子は総じて我が分に安じて以て道を楽み、生死の上に超越したところのあるものだから、内に省みるも疚しき処なく、随つて心がゆったりして居るので、胸中常に坦々、その様子が自づと顔や挙動にまでも表はるるのである。之に反し小人は心常に名利を念ひ、陰謀や策略ばかりを考へ、あの人を斯うしてみようの此の事を何んな風にして壊してやらうのと、碌でも無い悪事ばかり心窃に企んでるから、何でも無い人の顔を見ても何と無く恐ろしく感じ、それが挙動の上にも容貌の上にも自づと表はれ、憂懼の趣きを呈するに至るのだ。されば前条にも佐藤一斎の語を引いて談話して置いたことのあるやうに、大抵の人は初見の際に相したのみで、その如何なる人物なるやを判じ得らるるのである。一見したのみでも、君子には何処と無く君子らしくゆつくりしたところがあり、小人には何処と無く小人らしいこせこせしたところのあるものだ。
 これは私の極幼少の頃か、或は又私の生れぬ先きの事であるやも知れぬが、兎に角、私が親しく父より聞知したところによれば、父のまだ壮年であつた頃、江戸の向両国に即易の名人として広く名を売つた者に平沢左内といふ男があつたさうだ。「即易」とは即座に人の運勢を見る法で、平沢の即易は能く的中するとの評判の喧しいのに動かされ、父も好奇心半分から一日友人の斎藤吉蔵と申す者を同道して、平沢左内の許へ出かけ、易を見てもらつたさうである。処が果して評判の如く、何から何まで非常に良く的中する。その際平沢は父の性質やら運勢を相して「御前さんの運勢は非常に宜しい。それは、御前さんは何事にも注意が綿密で行届く人だからだ……」と謂つたと云ふ事である。これに反し、同行の斎藤吉蔵を相し「御前さんの運勢は何うも面白く無い。畢竟性質としてはさつぱりした面白いところがあるにも拘らず、物事に軽はずみで粗忽だからだ……」と申したさうである。父は平沢が両人に申し聞かせた判断を聞いて帰つてから、まさか易の表にそれと顕れたのでもあるまいに、平沢は何うして父が注意綿密で同行の斎藤が粗忽者であるのを覚り得たらうかと首をひねつて考へてみたところが、大に思い当る事があつたさうである。

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デジタル版「実験論語処世談」(44) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.340-345
底本の記事タイトル:二八三 竜門雑誌 第三七〇号 大正八年三月 : 実験論語処世談(第四十四回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第370号(竜門社, 1919.03)
初出誌:『実業之世界』第16巻第3号(実業之世界社, 1919.03)