2. 威武も屈する能はず富貴も淫する能はず
いぶもくっするあたわずふうきもいんするあたわず
(51)-2
子曰。篤信好学。守死善道。危邦不入。乱邦不居。天下有道則見。無道則隠。邦有道。貧且賤焉。恥也。邦無道。富且貴焉。恥也。【泰伯第八】
(子曰く、篤く信じて学を好み、死を守りて道を善くす。危邦には入らず、乱邦には居らず、天下道有れば即ち見はれ、道無ければ即ち隠る。邦道有りて貧且つ賤なるは恥なり。邦道なくして富且つ貴きは恥なり。)
この章は大分混入つた章であるが、孔子の説かれた目的は、人の身を立て世に処する道を教へられる所にあるやうである。然しどつちかといふと、個人といふことを余り重く見られた結果、若し国家といふ立場から考へて見ると、殊に日本の国家といふ立場から考へて見るとこの章の或る句の如きは俄に適用できかねるものもあるやうである。(子曰く、篤く信じて学を好み、死を守りて道を善くす。危邦には入らず、乱邦には居らず、天下道有れば即ち見はれ、道無ければ即ち隠る。邦道有りて貧且つ賤なるは恥なり。邦道なくして富且つ貴きは恥なり。)
これは大体三段に分れて居つて、最初の「篤く信じて学を好み、死を守りて道を善くす」といふのは、君子の道に処するに当つての心掛けで、篤く信ずるとは、自分の事物に対する判断を確乎たるものとするといふことである。然もこの種の確信を有するが為には学を好むことが大切であつて、若し学を好むことなく、只軽率に何事も是であり善であるとして妄信するやうなことがあつては、決して正しいといふことは出来ぬ。そこで堅く信ずると共に、常に学を励んで、物事に対して是非善悪の正当な批判力を養ふことが大切である。
斯くて正当なる批判力に依つて自分が是であり善であると堅く信じたことは、これを十分に固持し、主張して、飽迄も貫徹することに努めねばならぬ。これが即ち道を全うするといふものである。飽迄も貫徹せんとして、時にはその身に危害の加はるといふやうな場合がないとも限られぬ。さういふ場合に臨んでも、苟も君子たるものはそれが為に自分の信念を枉げるといふやうなことがあつてはならぬ。
これは所謂孔子の「威武も屈する能はず、富貴も淫する能はず」といつたやうな巍然たる態度をいつたものである。この心掛けは今日の日本にも必要のことであつて、自身には何等確信の無い、心にも無いやうなことを唯世間や新聞で騒ぎ立てるからといつて、尻馬に乗つて騒ぎ廻るといふことはこの孔子の教に全く反するもので、甚だ尊敬し難いものである。徒に喧騒を事とする前に先づ退いて学を好み、依つて以て正当なる批判に依り、正しい確信を造ることが必要である。で真に確信が出来たら、そこで死をも賭してその志す道に勇往邁進するがよい。勇往もしなければ、さうかといつて退いて諄々と勉強するでもないといふのでは、全く始末におへぬ。余程よくこの点は考へねばならぬと思ふ。
- デジタル版「実験論語処世談」(51) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.395-400
底本の記事タイトル:三〇五 竜門雑誌 第三八三号 大正九年四月 : 実験論語処世談(第五十《(五十一)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第383号(竜門社, 1920.04)
初出誌:『実業之世界』第17巻第3号(実業之世界社, 1920.03)