デジタル版「実験論語処世談」(51) / 渋沢栄一

5. 学生の普選運動は是か

がくせいのふせんうんどうはぜか

(51)-5

子曰。不在其位。不謀其政。【泰伯第八】
(子曰く、其の位に在らざれば、其の政を謀らず。)
 この章は、己れの職分以外に向つて容喙することなく、その分を能く守ることを示されたものであるが、この頃のやうに世間一般が政事のことに容喙して、乳臭い学生迄が権利呼ばはりをするやうになつては、果して何れが正当であるか、私も甚だ迷はざるを得んのである。
 殊にこの頃は普通選挙が喧しくなつて、私の処などにも若い学生の方が押かけて来て、普通選挙に対して私は何う考へるかといふやうなことを尋ねられた。私としては普通選挙は良いことだと思ふ。決して悪いことだとして反対するやうなことはない。只之等の学生等が、果してその学生としての本分を尽して居られるであらうかどうか、若し学校の勉強等をそつちのけにして、只世間の調子に乗つたり、真に心からの自覚があるでもないのに一時の奇を好んでさういふ態度に出でるといふのであれば、それは甚だ賛成し難いのである。
 若しさうだとすると、本当に根底のある訳でもないから、愈〻最後の今一息といふやうな場合に力が抜けて豹変するやうなことになり、今迄骨を折つたことは、丸で何の為にしたのか少しも分らなくなつて了ふ。私は之等の運動を決して悪いとか価値の無いものであるとは言はぬ。私自身に於ても、徳川幕府の外交政策について容喙しようとしたこともあるのである。其位にゐないからといつて、国家の為にならぬと知つたときは、必ずしも口を閉ぢて居る必要はなからう。否真に国家の危急存亡といふやうな場合には、自らその陣頭に馬を進めて命を捨てる丈けの覚悟と誠意とがなければならぬ。然しこれは何処までも真に自己の本分を尽し、又真に国家の前途を憂慮してからのことである。只一時の気まぐれから来るやうなことは、断じてあつてはならぬ。で今日学生諸君が普選運動を行られるは良いとして、只事の本末を顛倒することなく、よく自己の本分を尽し、又真の自覚の下に立つたものであつて欲しいのである。然しこの論語の言葉から推して考へて見ると、さういふことさへも屡〻あつてよいものかどうか、余程考へねばならぬ。

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デジタル版「実験論語処世談」(51) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.395-400
底本の記事タイトル:三〇五 竜門雑誌 第三八三号 大正九年四月 : 実験論語処世談(第五十《(五十一)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第383号(竜門社, 1920.04)
初出誌:『実業之世界』第17巻第3号(実業之世界社, 1920.03)