デジタル版「実験論語処世談」(55) / 渋沢栄一

2. 大隈侯の誤れる解釈 三条、木戸と森村君

おおくまこうのあやまれるかいしゃく さんじょう、きどともりむらくん

(55)-2

子曰。主忠信。毋友不如己者。過則勿憚改。【子罕第九】
(子曰く。忠信を主とせよ、己に如かざる者を友とすること毋《なか》れ。過ては則ち改むるを憚る勿れ。)
 此の章は、論語の一番先きの学而篇に出て居るので、重複であると称する学者もあるが、此の章は前章を享けて特に之を出したのであつて重複ではない。即ち悦んで繹ねなかつたり、従て改めなかつたりするのは、忠信を主としないからである。忠信を主とすればかういふ事がない様になる。此の意味に於て前章の次に再び此の章を出したのである。「己に如かざる者を友とすること毋れ」いふ章句に就て、先年大隈侯が、「孔子も無理な事を言つてゐる。此の訓へに従へば俺なんかは一人も友達がないであらう」と言はれた事があるが、之れは大隈侯が、世の中に御自身程優れた者がないと信じて言はれたのであらうが、成程、文字通り解釈したならば侯の如き百事に優れた人であつたならば、誰も友とすべき人がないかも知れない。然し此の章はさういふ意味でなく、悦んで繹ねなかつたり、聞いて改めなかつたりする人が多いのであるから、能く友を択んで交はる様にせよといふ意味であつて、世の中に総ての点に於て優れた人といふものはない、であるから、善に遷り、過ちを改むるに憚らぬ善良の人を友とせよといふのである。大舜の徳といつて、舜のやうな大聖人でも過りはあつた。只之れを改め善に遷る様な人でなければならぬのである。
 今は故人となつたが、森村市左衛門君などは、過りを改めるといふ意味には或は当て嵌らぬかも知れぬが、善に遷るといふ意志の強い人で、或時代には仏教信者になり、晩年基督教に帰依されたが、兎に角善を行ふ意志の強かつたことは事実である。又、特に親しい間柄ではなかつたが、故三条公や木戸侯などは、自説を固持せず、能く人の説を容れる人であつた。之れは一面に於て遷善改過の徳を備へて居つた人であると言ひ得ると思ふ。

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デジタル版「実験論語処世談」(55) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.459-462
底本の記事タイトル:三二八 竜門雑誌 第四〇五号 大正一一年二月 : 実験論語処世談(第五十三《(五)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第405号(竜門社, 1922.02)
初出誌:『実業之世界』第18巻第6号(実業之世界社, 1921.06)