4. 貧富に依りて賢愚の別なきも礼儀を守れ
ひんぷによりてけんぐのべつなきもれいぎをまもれ
(55)-4
子曰。衣敝縕袍。与衣狐貉者立而不恥者。其由也与。【子罕第九】
(子曰く。敝たる縕袍を衣て、狐貉を衣たる者と立ちて恥ぢざる者は、其れ由か。)
孔門十哲の一人、子路の行動を褒めて言はれたのであつて、事に処して勇敢であり、仕事に対して活発であり、然かも天真爛漫たる無邪気さを有してゐるのは、由(子路のこと)であると褒められた。(子曰く。敝たる縕袍を衣て、狐貉を衣たる者と立ちて恥ぢざる者は、其れ由か。)
私が事新らしく述べる迄もない事であるが、人の賢愚は貧富に依つて違ふ訳でなく、富みたる者が必ずしも賢人のみでないと等しく、貧しき者も必ずしも愚者であるとは言へない。されば貧富に依りて人に接する態度を二三にするのは宜しくない事であるし、貧弱な服装をして居つても、自分の行ひさへ正しかつたならば、立派な服装の人と並び立つても決して恥かしい事はない訳である。されば辺幅を飾るよりも、学を修め徳を養ふ事に努むべきであるが、さりとて現代に於て、所謂誤まれる東洋豪傑風の無遠慮、無作法であつてはならぬ。固より貧に恥づるとか、富を羨むとかいふ事は宜しくないが、現代人は欧米諸国人と広く交つて居るのであるから、相当の礼儀を重んずるといふ事を忘れてはならぬ。一例を挙げると、汽車の一二等車に破れたる着物を着て乗り込み、大勢の前で尻を捲つたり、肌抜ぎをしたり、通路に痰を吐いたりする様な事を屡〻見受ける処であるが、之れは礼儀を紊る無作法な仕方であつて、是非慎まなければならぬ事である。欧米ではかういふ場合には遠慮するのを常とするが、我が国でも斯くありたいと思ふ。
- デジタル版「実験論語処世談」(55) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.459-462
底本の記事タイトル:三二八 竜門雑誌 第四〇五号 大正一一年二月 : 実験論語処世談(第五十三《(五)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第405号(竜門社, 1922.02)
初出誌:『実業之世界』第18巻第6号(実業之世界社, 1921.06)