デジタル版「実験論語処世談」(55) / 渋沢栄一

3. 三軍の帥は奪ふ可く匹夫の志は奪ふ能ず

さんぐんのすいはうばうべくひっぷのこころざしはうばうあたわず

(55)-3

子曰。三軍可奪帥也。匹夫不可奪志也。【子罕第九】
(子曰く。三軍も帥を奪ふ可き也。匹夫も志を奪ふ可らざる也。)
 之は立志の貴ぶ可く、人の意志の強いものであるといふ事を説かれたのであつて、春秋時代の三軍といふのは、其の人員が幾人で、兵科が何々であるかといふ事は素より分らぬけれども、兎も角、前軍、中軍、後軍の旗鼓堂々たる数百千万の軍勢を指したものであつて、場合に依つては其の総帥を捕虜にする事も出来るが、匹夫の志は之を奪ふ事が出来ないと謂はれたのである。一方に三軍の総帥といふ非常に強い権力者を引張り出し、他方に卑賤にして且つ無力なる匹夫を引合に出して比較形容したのは意味を強める為でもあるが、正に其の通りであつて、匹夫にして斯くの如くであるから、況んや匹夫に非ざる者の志を立てたる者に於てをやである。
 之れは私自身の経験にもある事であるが、其の二十四五の時に、一生を農民で終るよりは何がな国家の為めに尽し度い、若し何等の功労を尽し得られぬかも知れぬが、せめて宮城の御濠の埋草になるとしても、君国の御為めになり度いと志を立て郷里を出でんとした。其時に或は無謀を忠告され、訓戒せられ、又父子の情愛から、親族の長者から、或は某権力方面からも其出京を差止められた事もあつたが、遂に其の志を奪はれずして、自分の意志を実行した。要するに堅く決心して成し遂げようとした志は、決して他から奪はれるものでなく、必ず成し遂げ得られるものである。自分の事を申上げるのは何かしら自慢らしく思はれるかも知れませぬが、私の過去に於ける実際の経験を申述べて参考に資せんとするものである。

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デジタル版「実験論語処世談」(55) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.459-462
底本の記事タイトル:三二八 竜門雑誌 第四〇五号 大正一一年二月 : 実験論語処世談(第五十三《(五)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第405号(竜門社, 1922.02)
初出誌:『実業之世界』第18巻第6号(実業之世界社, 1921.06)