公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代
1部 社会公共事業
3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
大正15年2月15日 (1926年) | 第38巻 p.5-24(DK380001k) 是ヨリ先、アメリカ合衆国ニュー・ヨーク米日関係委員会幹事シドニー・エル・ギューリックハ其知友ト計リ Committee on World Friendship among Children ヲ組織シ、第一事業トシテ日米親善ニ資センタメアメリカ児童ヨリ本邦児童ニ人形贈与ノ計画ヲ進ム。外務省ハ右ノ情報ニ接シ、是日斎藤通商局長代理ヨリ日米関係委員会委員タル栄一ニ、其受入レニツキ援助ヲ求ム。次イデ四月十五日ギューリックハ右趣意ニツキ栄一ニ詳報スル所アリ。外務省ハ文部省ニ諮リテ其受入レヲ決シ、十一月十九日、出淵外務次官ハ重ネテ栄一ニ右計画ノ進行情況ニツキ報告ス。 | |
大正15年12月18日 (1926年) | 第38巻 p.24-38(DK380002k) 是日、親善人形使節第一団八百個、ニュー・ヨークヲ発ス。昭和二年一月、文部省ニ到着ス。 | |
昭和2年2月19日 (1927年) | 第38巻 p.38-45(DK380003k) 是日、日本国際児童親善会組織セラレ、栄一会長トナル。 | |
昭和2年2月27日 (1927年) | 第38巻 p.45-47(DK380004k) 是日栄一、三越並ニ松坂屋ニ到リ開催中ノ親善人形展覧会ヲ見ル。 | |
昭和2年3月3日 (1927年) | 第38巻 p.47-74(DK380005k) 是日、当会主催「親善人形歓迎会」日本青年館ニ開カル。栄一会長トシテ出席ス。人形ハアメリカ合衆国代表女児ヨリ日本代表女児二手渡サレ、栄一謝辞ヲ述ブ。 | |
昭和2年4月8日 (1927年) | 第38巻 p.74-75(DK380006k) 是日栄一、近ク賜暇帰国セントスル駐日アメリカ合衆国大使チャールズ・マックヴェーヲソノ大使館ニ訪ヒ、今般贈ラレタル親善人形ガ我国民ニ与ヘタル好感及ビ受領配布ノ情況等ニツキ談話ス。 | |
昭和2年5月9日 (1927年) | 第38巻 p.75-79(DK380007k) アメリカ合衆国キリスト教会聯合会、同聯合会国際正義並ニ親善委員会及ビ国際児童親善委員会代表者エス・パークス・キャドマン等六名、アメリカ合衆国児童寄贈親善人形ニ対スル我国ノ歓迎ニツキ、是日、栄一其他関係者ニ謝状ヲ送ル。 | |
昭和2年5月18日 (1927年) | 第38巻 p.79-84(DK380008k) 是日、当会協議会、文部省内二開カル。栄一出席シテ、今般寄贈セラレタル親善人形ヘノ答礼ニ関スル件ヲ議ス。 | |
昭和2年9月16日 (1927年) | 第38巻 p.84(DK380009k) 是日栄一、新任文部次官粟屋謙・普通学務局長武部欽一等ヲ東京銀行倶楽部ニ招キ、アメリカ合衆国児童寄贈親善人形答礼ニ関シテ打合ス。 | |
昭和2年11月4日 (1927年) | 第38巻 p.84-98(DK380010k) 是日、当会主催答礼人形送別会、明治神宮外苑内日本青年館ニ開カル。栄一出席シ、来賓トシテ挨拶ヲ述ブ。 | |
昭和2年12月27日 (1927年) | 第38巻 p.98-154(DK380011k) 是日、アメリカ合衆国ワシントン、ナシヨナル劇場ニ於テ、日本児童ヨリ贈リタル親善人形ノ歓迎会催サル。コノ前後ニ亘リ同国各地ニ於テ同ジク歓迎会催サレ、栄一右ニツキ内外各方面ノ報告ヲ接受ス。 | |
昭和3年2月18日 (1928年) | 第38巻 p.154-158(DK380012k) 是日、アメリカ合衆国世界児童親善委員長ニシテ、雑誌「エヴリーランド」主筆ルーシー・ダブリュー・ピーボデー夫人ハ「エヴリーランド」日本号八千部ヲ栄一ニ贈リ、日本児童ヨリ贈ラレタル親善人形ノ企ニ対シテ感謝ノ意ヲ表ス。 | |
昭和3年5月22日 (1928年) | 第38巻 p.158-165(DK380013k) 是日栄一、当会会長トシテ、親善人形ニ関シ配慮ヲ受ケタルアメリカ合衆国内ノ各鉄道会社並ニ駐米大使松平恒雄其他ニ対シ、謝状ヲ発ス。 | |
昭和3年8月6日 (1928年) | 第38巻 p.165-168(DK380014k) 是日当会委員会、渋沢事務所ニ開カル。栄一出席シ、委員長トシテ挨拶ヲ述ブ。親善人形ヲ携ヘテ渡米セル関屋竜吉出席シテ其報告ヲナス。 | |
昭和5年3月3日 (1930年) | 第38巻 p.168-181(DK380015k) 是日栄一、シドニー・エル・ギューリック著 "Dolls of Friendship" ヲ皇太后陛下並ニ高松宮妃殿下ニ献上ス。 | |
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
昭和2年3月7日 (1927年) | 第38巻 p.182-195(DK380016k) 是ヨリ先、聖路加国際病院長ルドルフ・ビー・トイスラー、新ニ大阪聖バルナバ病院ノ経営ヲ引受ケ、其ノ規模ヲ拡張セントシ、栄一ニ援助ヲ乞フ。 是日栄一、中川大阪府知事・関大阪市長・村山朝日新聞社長・本山毎日新聞社長ニ対シ、トイスラーヲ紹介スルタメ、詳細ノ書状ヲ作リ、小畑久五郎ニ託シ、トイスラーニ同行セシメテ大阪ニ派遣ス。 | |
昭和2年9月14日 (1927年) | 第38巻 p.195-205(DK380017k) 是日、聖路加国際病院ト姉妹関係ニアル、当病院ニ関スル協議会、大阪市内大阪ホテルニ於テ開カル。栄一尽力ス。 | |
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
昭和2年6月18日 (1927年) | 第38巻 p.206-212(DK380018k) 是日当協会発会式、日本工業倶楽部ニ於テ挙行セラル。栄一臨席シテ祝辞ヲ述ブ。 | |
25款 THE AMERICAN SOCIETY OF MECHANICAL ENGINEERS
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
昭和4年8月12日 (1929年) | 第38巻 p.213-222(DK380019k) 是日栄一、 THE AMERICAN SOCIETY OF MECHANICAL ENGINEERS名誉会員ニ推薦セラル。次イデ十一月五日、帝国ホテルニ於テ其推薦式行ハル。 | |
26款 国際教育関係諸団体 1. 東亜高等予備学校
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
大正4年7月 (1915年) | 第38巻 p.223-230(DK380020k) 是ヨリ先、中華民国留学生教育ノタメ、私立日華同人共立東亜高等予備学校設立セラル。是月巌谷孫蔵・服部宇之吉等発起人トナリ、東亜高等予備学校賛助会ヲ設立スルヤ、栄一寄付金募集ノタメ紹介ノ労ヲ取ル。 | |
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
大正5年3月 (1918[1916]年) | 第38巻 p.230-251(DK380021k) 是月、栄一当校顧問トナル。在任歿年ニ及ブ。 | |
昭和4年7月31日 (1929年) | 第38巻 p.251-254(DK380022k) 是日栄一、海外植民事業関係者井上雅二・崎山比佐衛・小林美登利等ヲ飛鳥山邸ニ招キテ晩餐会ヲ催ス。 | |
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
昭和5年2月14日 (1930年) | 第38巻 p.254-258(DK380023k) 是ヨリ先、実業家薩摩治郎八ノ寄付ニヨリテ、フランス共和国パリ大学付属ノ大学都市内ニ設立セラレタル薩摩会館ノ後援会、是日成立ス。栄一其ノ会員トナル。 | |
26款 国際教育関係諸団体 4. 其他 [1]日語学校
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
-- | 第38巻 p.258-263(DK380024k) -- | |
26款 国際教育関係諸団体 4. 其他 [2]アーウィン学校
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
-- | 第38巻 p.263-264(DK380025k) -- | |
26款 国際教育関係諸団体 4. 其他 [3](サン・パウロ) 聖州義塾
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
-- | 第38巻 p.264-266(DK380026k) -- | |
26款 国際教育関係諸団体 4. 其他 [4]日本力行会海外学校
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
-- | 第38巻 p.266-267(DK380027k) -- | |
26款 国際教育関係諸団体 4. 其他 [5]マタルナ青年団
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
-- | 第38巻 p.267-268(DK380028k) -- | |
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
大正3年5月 (1914年) | 第38巻 p.269-275(DK380029k) 是月栄一、財団法人同仁会ノ顧問ニ就任シ、在任歿年ニ及ブ。 | |
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
大正3年5月 (1914年) | 第38巻 p.275-287(DK380030k) 是月栄一、当会相談役ニ推サレ、大正十一年二月十六日当会財団法人組織トナルヤ、引続キ評議員・相談役ニ推薦セラル。在任歿年ニ及ブ。 | |
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
大正7年6月 (1918年) | 第38巻 p.287-293(DK380031k) 是月栄一、当協会評議員ニ選バル。大正十五年七月及ビ昭和五年七月再選セラル。 | |
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
大正10年10月1日 (1921年) | 第38巻 p.293-298(DK380032k) 是日、当協会設立セラレ、栄一顧問ニ推薦セラル。 在任歿年ニ及ブ。 | |
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
大正12年10月14日 (1923年) | 第38巻 p.298-299(DK380033k) 是日栄一、当協会評議員ニ推薦セラル。在任歿年ニ及ブ。 | |
4節 国際記念事業
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
大正11年2月11日 (1922年) | 第38巻 p.300-322(DK380034k) 是ヨリ先、一月十六日当祝賀会発起人会開催セラレ、栄一ソノ会長ニ推薦セラル。是日、其祝賀会、日本工業倶楽部ニ開カレ、栄一出席シテ祝辞ヲ朗読シ、且ツトーマス・エー・エディソンニ祝電ヲ発ス。 | |
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
大正14年7月9日 (1925年) | 第38巻 p.323-328(DK380035k) 是ヨリ先、アメリカ合衆国シカゴ市ノ実業家ヘンリー・エム・ウォルフハ、静岡県下田在柿崎玉泉寺ヲ訪レ、此処ニ同国初代ノ公使ニシテ日本ノ開国ニ貢献シタルタウンゼンド・ハリスノ記念碑ヲ建立センコトヲ発意シ、同国特命全権大使エドガー・エー・バンクロフトヲ通ジテ、栄一ニ其協力ヲ求ム。是日、バンクロフトハ其具体案ヲ栄一ニ書通ス。 | |
大正14年8月4日 (1925年) | 第38巻 p.328-331(DK380036k) 是ヨリ先七月二十八日、アメリカ合衆国特命全権大使エドガー・エー・バンクロフト軽井沢ニ客死ス。是日栄一、其追悼文ヲ中外商業新報ニ掲ゲ、ハリス記念碑建設ノ事ニ及ブ。 | |
大正14年10月22日 (1925年) | 第38巻 p.331-342(DK380037k) 是日栄一、清水釘吉ヲ兜町ノ渋沢事務所ニ招致シテ、ハリス記念碑ノ設計見積ヲ命ズ。十五年十月、清水組ヨリ見積書提出セラル。後、ウォルフ及ビ同ジクシカゴ市ノ人エルブリッジ・ビー・ピアスヨリ、同碑建設費トシテ各二千円ノ寄付ヲ申出ズ。 | |
昭和2年7月22日 (1927年) | 第38巻 p.342-343(DK380038k) 是日栄一、阪谷芳郎・三上参次及ビ高田利吉ヲ飛鳥山邸ニ招集シテ、ハリス記念碑文ニツキ協議ス。 | |
昭和2年9月30日 (1927年) | 第38巻 p.343-351(DK380039k) 是日栄一、ハリス記念碑除幕式参列ノタメ東京ヲ発シ、修善寺ニ一泊ス。 | |
昭和2年10月1日 (1927年) | 第38巻 p.351-414(DK380040k) 是日、ハリス記念碑除幕式並ニ玉泉寺修繕落成式、同寺ニ於テ挙行セラル。栄一臨席シテ演説ヲナシ、翌二日帰京ス。栄一挙式ノ費用ヲ負担ス。 | |
昭和3年2月23日 (1928年) | 第38巻 p.414-431(DK380041k) 是日ヘンリー・エム・ウォルフ、ハリス記念碑保存費トシテ金五百円ヲ送リ来リ、栄一ニ其実行法ヲ委嘱ス。翌四年九月十四日ニ至リ、栄一之ニ五百円ヲ加ヘテ千円トナシ、以テ其保存基金ヲ設定ス。 | |
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
大正14年5月13日 (1925年) | 第38巻 p.432-437(DK380042k) 是日栄一、日米協会会長徳川家達ニ書翰ヲ発シ、静岡県下田在柿崎ノ玉泉寺本堂修繕ニ関シ、同会ヨリ寄付金ノ補助ヲ希望ス。 | |
大正15年6月24日 (1926年) | 第38巻 p.437-440(DK380043k) 是日日米協会、同会募集ニ係ル玉泉寺本堂修理保存ニ対スル寄付金六千六百余円ヲ、会長徳川家達ヨリ栄一ニ交付ス。 | |
昭和2年9月22日 (1927年) | 第38巻 p.440-444(DK380044k) 是日栄一、帝国ホテルニ於テ開催ノ日米協会第十九回円卓午餐会ニ出席シテ、玉泉寺修繕ノ経過並ニ会計ノ報告ヲナス。 | |
昭和2年10月1日 (1927年) | 第38巻 p.445(DK380045k) 是日、玉泉寺修繕落成式、ハリス記念碑除幕式ト共ニ、同寺ニ於テ挙行セラル。栄一出席シテ演説ヲナス。 ○資料ハ本巻所収「タウンゼンド・ハリス記念碑建設」同日ノ条ニ収ム。 | |
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
昭和3年1月27日 (1928年) | 第38巻 p.446(DK380046k) 是日、世古孝之助・小松緑、小畑久五郎ト共ニ、飛鳥山邸ニ栄一ヲ来訪、上野公園内グラント将軍並ニ同夫人ノ植樹ノ傍ニ、記念碑建設ノ件ヲ勧誘ス。栄一、益田孝ニ意ヲ通ズ。 | |
昭和4年8月 (1929年) | 第38巻 p.446-450(DK380047k) 是月栄一、益田孝ト共同シテ本碑ヲ建設シ、右ニ要スル経費ハ両人ノ負担トスル件ヲ決シ、翌五年四月工事ニ着手、同年五月二十日落成ス。 | |
昭和5年5月30日 (1930年) | 第38巻 p.450-477(DK380048k) 是日、上野公園内グラント将軍記念植樹ノ傍ニ於テ、本碑ノ除幕式ヲ挙行ス。栄一出席シテ式辞ヲ述ブ。後、上野精養軒ニ茶会ヲ催シ、席上、又懐旧談ヲナス。 | |
昭和5年6月19日 (1930年) | 第38巻 p.477-488(DK380049k) 是日栄一アメリカ合衆国各地ノ知友百九名ニ対シ、グラント将軍植樹記念碑絵葉書及ビパンフレットヲ贈ル。 | |
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
大正13年7月11日 (1924年) | 第38巻 p.489-502(DK380050k) 是日、フランス共和国人神父アー・ヴィリヨン、鮎川義介ト共ニ飛鳥山邸ニ栄一ヲ訪ヒ、山口県山口町大道寺ニ於ケル、ザベリヨ記念碑建設ニ対シテ援助ヲ乞フ。栄一乃チ三井・岩崎両家ニ申入レ、各金三千円ノ寄付ヲナサシム。大正十五年九月十七日ヴィリヨン再ビ飛鳥山邸ニ来訪シ、右記念碑維持ニ関シ重ネテ援助ヲ乞フ。栄一、古河虎之助・森村開作等ニ寄付ヲ勧誘シテ援助ス。 | |
5款 其他 2. ベルナルド・ベテルハイム記念碑建設
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大正15年4月15日 (1926年) | 第38巻 p.502-509(DK380051k) 日本ニ渡来セル最初ノ基督教宣教師ハンガリー人ベルナルド・ベテルハイムノ記念碑ヲ琉球ニ建設センガタメ、ベテルハイム記念事業委員会会長アール・アール・ブル、是日栄一ニ対シ、同会ヲ代表シテ金百円ノ寄付ヲ乞フ。栄一之ニ応ジ、更ニ其記念碑ノ背後ニ記念樹ヲ贈ル。 | |
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大正15年9月20日 (1926年) | 第38巻 p.509-526(DK380052k) 是日、アメリカ合衆国太平洋沿岸長老教会総理アーネスト・エー・ストージ博士古稀祝賀会、帝国ホテルニ催サル。栄一其司会者トナリ、祝辞ヲ朗読ス。続イテ歓迎晩餐会同所ニ開カレ、栄一同ジク出席ス。是ヨリ先、同月十七日ストージ夫妻飛鳥山邸ニ来訪ス。 | |
5款 其他 4. ERIC KNIGHT JORDAN RESEARCH FELLOWSHIPS IN GEOLOGY
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大正15年10月6日 (1926年) | 第38巻 p.527-534(DK380053k) 是ヨリ先、アメリカ合衆国スタンフォード大学名誉総長デーヴィッド・エス・ジョルダンノ息、エリック死去ス。六月一日、栄一ハジョルダンニ供花料金五十ドルヲ贈ル。ジョルダン、之ヲ Eric Knight Jordan Reseach Fellowships in Geologyニ寄付セリ。仍ツテ是日栄一、右ニ対シ更ニ金二百ドルヲ寄付ス。 | |
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昭和元年12月28日 (1926年) | 第38巻 p.534-542(DK380054k) アメリカ合衆国人ジャッジ・ティー・バーク、平和主義者トシテ名アリ。大正十四年十二月四日、ニュー・ヨークニ於テ演説中急逝ス。栄一、ジェームズ・ディー・ローマンニ対シ弔電ヲ送ル。後、シアトルニバーク記念委員会設立セラレ、委員長ローマンハ、シアトル駐箚日本領事川村博ヲ経テ、其銅像建設資金ノ寄付方ヲ希望ス。仍ツテ栄一、日米関係委員会ノ手ニヨリ寄付金九千七百余円ヲ得、是日、之ヲ外務省ニ交付シシアトルヘ転送ヲ依頼ス。 | |
5款 其他 6. アール・ディー・タタ記念教育資金
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
昭和2年6月 (1927年) | 第38巻 p.543-545(DK380055k) 是月栄一、インド国人故アール・ディー・タタ記念教育資金募集ノ挙ヲ賛シ五百ルーピーヲ寄付ス。 | |
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
昭和2年7月4日 (1927年) | 第38巻 p.545-554(DK380056k) 是ヨリ先、山口県山口町ニ於テ、ヴィリヨン神父記念胸像建設会設立セラル。是日栄一、其顧問タルヲ諾ス。昭和三年六月当会ハ目的ヲ達シテ解散ス。 | |
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
昭和2年10月25日 (1927年) | 第38巻 p.554-558(DK380057k) 是日、ピエール・ユージェン・マルセラン・ベルトロー生誕百年記念式、日本工業倶楽部ニ催サル。栄一其発起人ノ一人トシテ出席シ、司会者トナル。 | |
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-- | 第38巻 p.558(DK380058k) -- | |
5節 外賓接待
1款 インド、パロダ国国王マハラジャ・サヒブ・ガイカー招待
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
明治43年5月17日 (1910年) | 第38巻 p.559-561(DK380059k) 是日栄一、インド、パロダ国国王マハラジャ・サヒブ・ガイカーヲ日本女子大学校ニ案内シ、後、飛鳥山邸ニ招キテ晩餐会ヲ開ク。是ヨリ先、同月十六日、栄一、同国王ヲ帝国ホテルニ訪問ス。 | |
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
明治43年6月26日 (1910年) | 第38巻 p.562(DK380060k) 是日栄一、インド、ムルバンジ国国王バンジ・デオヲ飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。是ヨリ先、同月十七日、栄一、同国王ヲ帝国ホテルニ訪問ス。 | |
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大正元年9月20日 (1912年) | 第38巻 p.563-570(DK380061k) 是日栄一、明治天皇大葬参列ノタメ来日セル、アメリカ合衆国特派大使国務卿フィランダー・シー・ノックスヲ蚕業講習所ノ参観ニ案内シ、後、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。 | |
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大正2年2月15日 (1913年) | 第38巻 p.571-577(DK380062k) 是月十四日、栄一、中華民国国民党党首孫文ノ来日ヲ新橋駅ニ迎フ。是日、東亜同文会主催ノ歓迎会、華族会館ニ開カレ、栄一出席ス。以後其歓迎会又ハ会合数次ニ亘ツテ催サル。即チ是月十七日栄一孫文ヲ帝国ホテルニ訪ヒ、同夜支那公使館ニ招宴アリ、栄一出席シテ演説ヲナシ、十八日日本郵船株式会社主催歓迎会、二十日三井物産株式会社主催歓迎会開カレ、栄一出席ス。二十一日夜実業家聯合ニヨル歓迎会ニ栄一出席シテ演説ヲナス。二十三日青年会館ニ於ケル歓迎会、二十五日大隈重信主催歓迎会、同夜東京市主催歓迎会等アリ、栄一ソレゾレ出席ス。特ニ日支合弁会社設立ニ関シテハ二月二十一日渋沢事務所ニ孫文・戴天仇・益田孝・山本条太郎等会合シテ覚書ヲ作成シ、二十五日之ヲ大蔵省勝田次官ニ示シ、更ニ三月一日三井集会所ニ関係者ト協議、原案ノ賛成ヲ得、三日同所ニ孫文・益田孝・大倉喜八郎・山本条太郎ト協議シ、四日重ネテ同所ニ孫文・益田孝・山本条太郎ト会合、中国ニ於ケル貨幣制度・銀行組織ニツキ会談ス。同日夜、帝国ホテルニ孫文留別会開カレ、栄一マタ出席ス。五日孫文帰国ニ際シ、栄一新橋駅ニ送別ス。 | |
大正4年8月2日 (1915年) | 第38巻 p.578(DK380063k) 是日栄一、箱根小涌谷ノ三河屋旅館ニ於テ、同地ニ滞在中ノ孫文ノ来訪ヲ受ク。 | |
大正13年11月24日 (1924年) | 第38巻 p.578-587(DK380064k) 是日孫文、上海ヨリ海路北京ニ赴ク途次、神戸ニ寄航シテ栄一等ト会見ヲ希望ス。栄一病気ノタメ応ズルコトヲ得ズ。第一銀行神戸支店長大沢佳郎ニ託シテ伝言ヲ通ジ、更ニ日華実業協会専務理事角田隆郎ニ託シテ意ヲ通ズ。 | |
大正14年1月28日 (1925年) | 第38巻 p.587-590(DK380065k) 是日栄一、孫文危篤ノ報ニ接シ、在北京ノ高木陸郎宛ニ代理見舞依頼ノ電報ヲ発ス。三月十二日孫文逝ク。栄一、霊前ニ花環ヲ供フ。 | |
昭和4年5月8日 (1929年) | 第38巻 p.590-592(DK380066k) 是年五月二十九日ヨリ三日間、南京ニ於テ、中華民国総理孫文公祭、次イデ六月一日奉安式執行ニツキ、栄一、是日付ノ案内状ヲ同国総理奉安委員会ヨリ受ク。 | |
5款 メキシコ国答礼大使フランシスコ・レオン・デ・ラ・バラ歓迎
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大正2年12月26日 (1913年) | 第38巻 p.593-596(DK380067k) 是ヨリ先、メキシコ国ヨリ、同国独立記念祭ニ際シテノ、我国ノ表慶ニ対スル答礼大使トシテ、フランシスコ・レオン・デ・ラ・バラ来日ス。是日栄一、近藤廉平・中野武営等ト共ニ、其歓迎晩餐会ヲ生命保険会社協会ニ開ク。栄一出席シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。 | |
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大正5年1月20日 (1916年) | 第38巻 p.597-601(DK380068k) 是月十二日、ロシア皇族ゲオルギー・ミハイロヴィッチ、大正天皇即位祝賀ノタメ来日シ、十七日同国大使主催晩餐会催サレ、栄一出席ス。是日、在京実業家有志ニヨル奉迎観劇会帝国劇場ニ開カレ、栄一歓迎ノ辞並ニ発起人名簿ヲ呈ス。翌二十一日、栄一、太公ヲ其宿舎霞関離宮ニ訪フ。次イデ二月二十四日、栄一、右観劇会ニ当リ接伴ニ尽力シタル宮内省・外務省ノ吏員ヲ帝国劇場ニ招キテ、慰労会ヲ催ス。 | |
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大正5年8月16日 (1916年) | 第38巻 p.602(DK380069k) 是日栄一、インド詩人ラビンドラナート・タゴールヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。是ヨリ先七月二日、栄一、日本女子大学校主催タゴール歓迎茶話会ニ臨ミ、更ニ同十三日、帰一協会幹事トシテ横浜原富太郎邸ニタゴールヲ訪問ス。 | |
大正13年6月12日 (1924年) | 第38巻 p.602-611(DK380070k) 是月七日、ラビンドラナート・タゴール来日シ、十日日本女子大学校ニ招待会、十一日日本工業倶楽部ニ日印協会主催歓迎会開カレ、栄一ソレゾレ出席ス。是日栄一、飛鳥山邸ニタゴールヲ招キテ茶話会ヲ催シ、大隈信常・阪谷芳郎・市来乙彦・団琢磨等四十余名出席ス。次イデ十三日東京市養育院ニ同人ヲ迎ヘ、栄一其沿革並ニ現況ノ説明ヲナス。同夜日印協会主催ノ観劇会演伎座ニ催サレ、栄一出席ス。尚、栄一、後ニ今回ノ歓迎費ノ残金ニ金千円ヲ追加シ、日印協会ヲシテタゴールノ経営スル大学ニ寄贈セシム。 | |
昭和4年6月3日 (1929年) | 第38巻 p.611-626(DK380071k) 是日、帰一協会主催ラビンドラナート・タゴール歓迎茶話会、飛鳥山邸ニ開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。 | |
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大正7年3月25日 (1918年) | 第38巻 p.627-628(DK380072k) 中華民国前総理唐紹儀及ビ殷汝耕等来日ス。是日、横浜正金銀行頭取井上準之助主催歓迎晩餐会、銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席シテ演説ス。四月六日、東京商業会議所主催歓迎午餐会、同所ニ開カレ、栄一出席シテ演説ス。同八日、中日実業株式会社主催歓迎晩餐会帝国ホテルニ開カレ、栄一出席ス。 | |
大正7年5月28日 (1918年) | 第38巻 p.628-629(DK380073k) 是日栄一、中華民国前総理唐紹儀ノ一行ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ晩餐会ヲ催ス。 | |
大正7年11月11日 (1918年) | 第38巻 p.629-630(DK380074k) 是日唐紹儀、朝野ノ名士ヲ東京銀行集会所ニ招キテ、留別ノ晩餐会ヲ催ス。栄一出席シ、来賓ヲ代表シテ謝辞ヲ述ブ。 | |
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大正7年6月24日 (1918年) | 第38巻 p.631(DK380075k) 是日、イギリス大使主催、同国皇族プリンス・アーサー・オブ・コンノート奉迎日本人招待会、同大使館ニ開カレ、栄一出席ス。 | |
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大正11年2月2日 (1922年) | 第38巻 p.632-636(DK380076k) 是日、全国商業会議所聯合会及ビ京浜在住実業家聯合主催、フランス共和国特派使節ジョゼフ・ジャーク・セゼール・ジョッフル元帥歓迎晩餐会、帝国ホテルニ開カル。栄一出席シテ乾杯ノ辞ヲ述ブ。 | |