デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.13

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
8節 鉄鋼
1款 日本鋼管株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治45年2月24日
(1912年)
第53巻 p.5-9(DK530001k)
是ヨリ先、白石元治郎等、鋼管製造事業ヲ起サントシ、栄一ノ意見ヲ求ム。栄一、之ニ賛同シ、発起人ニ加ハリテ、会社設立ニツキ種々援助ス。是日、栄一ノ名ヲ以テ、京浜実業家三十余名ヲ帝国ホテルニ招待シ、該事業企画ノ説明会開カル。栄一、出席シテ挨拶ヲ述ブ。
明治45年6月8日
(1912年)
第53巻 p.9-18(DK530002k)
是日、日本橋倶楽部ニ於テ当会社創立総会開カル。
栄一出席シ、推サレテ議長トナリ、議事ヲ司宰ス。
大正3年11月21日
(1914年)
第53巻 p.18-21(DK530003k)
是日、栄一、当会社工場ヲ参観シ、同夜帝国ホテルニ於テ開カレタル晩餐会ニモ出席ス。
2款 東洋製鉄株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正5年9月7日
(1916年)
第53巻 p.22-24(DK530004k)
是ヨリ先、栄一、製鉄事業ノ国策上緊要ナルヲ痛感シ、中野武営・和田豊治・中島久万吉・郷誠之助等ト議リ、中国桃冲鉄山ノ鉱石ヲ主タル原料トシテ、鋼材年産十五万噸製出ノ民営製鉄所設立ヲ企画ス。栄一、創立準備委員長ニ推サル。是日栄一、準備委員ヲ代表シ、帝国ホテルニ於テ、都下新聞・通信社代表者ニ対シ、創立経過ヲ報告シタル上、国家的見地ヨリ該事業ノ緊要ナル所以ニツキ演説ス。
大正5年9月15日
(1916年)
第53巻 p.24-28(DK530005k)
是日、東京商業会議所ニ於テ、当会社発起人会開カル。栄一、出席シテ座長トナリ、創立委員トシテ中野武営外二十名ヲ指名ス。爾後、屡々創立委員会開カル。栄一、之ニ出席スルト共ニ、一方、政府当局ニ対シ、製鉄業奨励法ノ制定ヲ要請ス。
大正6年11月1日
(1917年)
第53巻 p.28-29(DK530006k)
是日、帝国鉄道協会ニ於テ、当会社創立総会開カル。栄一出席シ、議長トナリテ、議事ヲ司宰シ、取締役及ビ監査役選任ニ当リ之ヲ指名ス。総会後開カレタル取締役会ニ於テ、中野武営、社長ニ選バル。
大正7年5月1日
(1918年)
第53巻 p.29-38(DK530007k)
是ヨリ先、久原房之助ノ計画ニ係ル製鉄会社ヲ当会社ニ合併シ、九州戸畑所在ノ其所有地ヲ当会社工場敷地ニ充ツルコトトナリ、之ガ合併仮契約成ル。是日、帝国鉄道協会ニ於テ、当会社臨時株主総会開カレ、右合併仮契約承認セラル。栄一之ニ与ル。爾後、製鉄所建設ノ工事進ミ、大正八年五月十日、火入式ヲ挙行ス。尚、大正十年四月十五日、当会社工場ノ経営ヲ八幡製鉄所ニ委託ス。
3款 九州製鋼株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正6年9月30日
(1917年)
第53巻 p.39-41(DK530008k)
是ヨリ先、安川敬一郎・松本健次郎・安川清三郎等、中国漢冶萍煤鉄廠鉱有限公司ト提携シ、同公司ヨリ供給ノ銑鉄ヲ以テ製鋼事業ヲ起サント企画ス。是日、九州若松市安川松本商店ニ於テ、日支合辦ノ当会社創立総会開カル。栄一、株主トナル。
大正14年6月5日
(1925年)
第53巻 p.41-46(DK530009k)
是ヨリ先、当会社工場設備ハ完成シタルモ、欧洲大戦後ノ経済界不況ノタメ作業開始ニ至ラズ、漢冶萍煤鉄廠鉱有限公司ヨリ、当会社ニ於テ作業開始ノ場合ハ、最モ有利ナル条件ヲ以テ銑鉄ノ供給ヲナスベキ諒解ノ下ニ、此際一先ヅ合辦組織ヨリ脱退シタキ旨ノ申出アリ。是日、当会社取締役会会長安川敬一郎、書翰ヲ以テ右事情ヲ詳述シ、栄一ノ諒解ヲ求ム。
八月五日、当会社事務所ニ於テ臨時株主総会開カレ、右ニ伴フ定款一部変更ノ件議決セラル。
大正15年12月22日
(1926年)
第53巻 p.46-48(DK530010k)
是ヨリ先、政府ニ於テ、当会社工場施設ヲ買収ノ意アリ、当会社之ヲ応諾スルニ内定ス。是日、当会社常務取締役松本健次郎、渋沢事務所ニ来訪シ、右事情ヲ報告スルト共ニ、之ヲ栄一ニ伝ヘテ其意見ヲ求ムルコトヲ請フ。翌二十三日栄一、増田明六ヲシテ、之ニ異議ナキ旨ヲ回答セシム。
昭和3年6月25日
(1928年)
第53巻 p.48-51(DK530011k)
是日、当会社常務取締役松本健次郎、渋沢事務所ニ来訪、当会社工場施設ヲ政府ニ賃貸シ、爾後、八幡製鉄所ニ於テ経営スルコトトナリタル旨報告ス。
昭和九年二月一日、我国製鉄業統合ノタメ日本製鉄株式会社ノ設立ニ際シ、当会社ハ其工場施設一切ヲ挙ゲテ之ニ参加ス。
4款 株式会社大島製鋼所
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正6年11月15日
(1917年)
第53巻 p.52-57(DK530012k)
是日、日本橋倶楽部ニ於テ、浅野総一郎・大川平三郎・白石元治郎等ノ発起ニ係ル当会社創立総会開カル。渋沢同族株式会社、株主トナル。
5款 富士製鋼株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正8年1月
(1919年)
第53巻 p.58-61(DK530013k)
是月十六日及ビ二十四日、栄一、当会社社長星野錫・取締役藤井光五郎ノ来訪ニ接ス。
大正12年1月14日
(1923年)
第53巻 p.62(DK530014k)
是日栄一、当会社取締役浅野総一郎ノ来訪ニ接ス。
6款 株式会社浅野小倉製鋼所対東京製綱株式会社紛議仲裁
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正8年6月26日
(1919年)
第53巻 p.63-69(DK530015k)
是ヨリ先、東京製綱株式会社ハ其分工場タル小倉製鋼所ヲ浅野総一郎ニ売却セシニ、之ガ契約履行ニ関シ紛議ヲ生ジ、両者ヨリ栄一ニ裁定ヲ請フ。栄一、両者ノ意見ヲ聴取シ、是日、渋沢事務所ニ浅野総一郎及ビ東京製綱株式会社取締役会長山田昌邦ヲ招致シ、裁定書ヲ交付シテ其趣旨ヲ説明ス。両者之ヲ諾ス。
大正12年10月27日
(1923年)
第53巻 p.69-92(DK530016k)
是ヨリ先、鉄鋼業界不況ノタメ、栄一ノ裁定セル小倉製鋼所売買代金支払条項ノ履行困難トナリタル浅野総一郎ハ、東京製綱株式会社ニ対シ、支払条件ノ変更ヲ求メタルモ、同会社ハ之ニ応ゼズ、紛議久シキニ亘リテ、遂ニ再ビ栄一ノ仲裁ヲ請フ。
栄一、双方ノ互譲ヲ求メテ之ヲ調停シ、是日、両者間ニ年賦金返済契約ヲ締結セシム。
尚、右契約ニヨリ、浅野総一郎ノ債務ハ、株式会社浅野小倉製鋼所ニ於テ之ヲ継承ス。
7款 日本鋼管株式会社対株式会社浅野製鉄所紛議裁定
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正8年12月28日
(1919年)
第53巻 p.93-99(DK530017k)
是ヨリ先、日本鋼管株式会社ト株式会社浅野製鉄所トノ間ニ締結セラレタル鋼塊売買契約ノ履行ニ関シ紛議ヲ生ズ。栄一、両者ノ請ニ依リ、是日之ヲ裁定ス。
大正9年4月17日
(1920年)
第53巻 p.99(DK530018k)
是ヨリ先、栄一、日本鋼管株式会社及ビ株式会社浅野製鉄所ヨリ、紛議調停ノ謝金トシテ各金五千円ヲ贈ラル。是日栄一、両会社ノ同意ヲ得テ之ヲ大礼記念楽翁公奉祀表徳会ニ寄付ス。
--第53巻 p.99-100(DK530019k)
--
9節 汽車製造
1款 汽車製造合資会社(汽車製造株式会社)
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治42年6月―44年
(1909-1911年)
第53巻 p.101-105(DK530020k)
栄一、監査役辞任後モ、当会社ノ為メ尽力スル所多シ。
大正元年10月14日
(1912年)
第53巻 p.105-109(DK530021k)
是ヨリ先、当会社其組織ヲ変更シ株式会社トナサントスル議アリ。栄一、井上馨・平岡熙等ト協議ヲナシ、六月十八日及ビ八月十日ノ両臨時社員総会ニ於テ其議可決セラレ、是日、合資会社ヲ解散シ、新タニ汽車製造株式会社創立セラル。
大正15年6月19日
(1926年)
第53巻 p.109-128(DK530022k)
是年四月十二日、当会社臨時株主総会ニ於テ増資ヲ決議ス。是日栄一、当会社社長長谷川正五ヨリ右ニ伴ヒ、設立以来ノ功績ニ対シ、新株式千株ヲ贈与セラル。
2款 其他 1. 山本工場
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正9年1月24日
(1920年)
第53巻 p.129-130(DK530023k)
是日、浜町常盤屋ニ於テ、当工場年次総会開カレ、栄一出席ス。大正十二年一月二十九日、同所ニ於テ開カレタル年次総会ニモ、栄一出席ス。
10節 化学工業
1款 大日本人造肥料株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年7月7日
(1910年)
第53巻 p.131-134(DK530024k)
是日栄一、渋沢事務所ニ於テ開カレタル東京人造肥料株式会社重役会ニ出席シ、大阪硫曹株式会社トノ合併ニツキ協議ス。
右合併ハ、二十八日臨時株主総会ニ於テ議決セラレ、合併成立ト同時ニ、社名ヲ大日本人造肥料株式会社ト改称ス。
大正6年4月10日
(1917年)
第53巻 p.134-136(DK530025k)
是日、上野精養軒ニ於テ、当会社創業三十周年祝賀会開カル。栄一出席シテ、祝辞ヲ述ブ。
大正12年1月12日
(1923年)
第53巻 p.136-150(DK530026k)
是ヨリ先、当会社及ビ関東酸曹株式会社・日本化学肥料株式会社ノ三会社合併ノ議アリ、大正十一年十二月二十二日、栄一、三会社代表者ヨリ合併比率・合併ノ方法・新会社ノ資本金及ビ重役員数ノ四綱目ニ関シ裁定ヲ請ハル。是日栄一、渋沢事務所ニ三会社ノ代表者ヲ招致シテ、裁定書ヲ手交ス。
尚、五月二十三日、栄一、当会社重役中ヨリ合併後ノ新会社重役ニ選任セラルベキモノ七名ヲ推薦ス。
大正12年6月29日
(1923年)
第53巻 p.150-156(DK530027k)
是日帝国ホテルニ於テ、三会社合併披露会開催セラル。栄一出席シテ、演説ヲナス。
昭和3年3月5日
(1928年)
第53巻 p.156-158(DK530028k)
是日栄一、築地新喜楽ニ於ケル当会社招待会ニ出席シ、演説ヲナス。
2款 三共株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正2年7月
(1913年)
第53巻 p.159-163(DK530029k)
是年二月、三共合資会社ハ組織ヲ改メテ資本金九十五万円ノ株式会社トシ、次イデ是月、広ク新株主ノ参加ヲ求メテ資本金二百万円ノ三共株式会社トナル。栄一、益田孝ト共ニ之ヲ援助シ、当会社取締役トシテ大橋新太郎・植村澄三郎ヲ推薦ス。
3款 電気化学工業株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正4年4月1日
(1915年)
第53巻 p.164-167(DK530030k)
是日、三井集会所ニ於テ、当会社発起人会開カル。
栄一、発起人トシテ出席シ、創立委員十名ヲ指名ス。
4款 日本染料製造株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正4年10月13日
(1915年)
第53巻 p.168-174(DK530031k)
是ヨリ先、栄一、稲畑勝太郎等ト共ニ、当会社ノ設立ニ尽力シ、是日、農商務省ニ上山次官ヲ訪ヒテ諸般ノ協議ヲナス。
大正五年二月二十五日、東京商業会議所ニ於テ、当会社創立総会開カレ、栄一、大倉喜八郎・中野武営等ト共ニ、当会社相談役ニ推サル。
5款 匿名組合志賀工業所
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正14年7月1日
(1925年)
第53巻 p.175-178(DK530032k)
是ヨリ先、林学博士志賀泰山、木材防火剤ヲ発明シ、之ガ特許ヲ得テ志賀工業所ヲ設立経営シ来レルガ、是日、組織ヲ改メテ匿名組合トナス。栄一、資ヲ投ジテ之ヲ援助ス。
尚、当組合ハ昭和二年更ニ株式会社ニ改組シ、後、日本耐火防腐株式会社ト改称ス。
6款 理化学興業株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
昭和2年7月15日
(1927年)
第53巻 p.179-192(DK530033k)
是ヨリ先、栄一、財団法人理化学研究所長大河内正敏等ト共ニ、当会社ノ設立ヲ企画ス。是日、日本工業倶楽部ニ於テ、創立発起会開カレ、栄一出席シテ、当会社設立ノ趣旨ヲ説明ス。席上、栄一、創立委員ノ詮衡ヲ一任セラレ、十六日、大橋新太郎外六名ヲ推挙ス。栄一、爾後開カレタル創立委員会ニ、屡々出席ス。
昭和2年11月25日
(1927年)
第53巻 p.192-198(DK530034k)
是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当会社創立総会開カル。嫡孫敬三、当会社監査役トナル。
7款 其他 1. 全国化学工業大会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正6年11月15日
(1917年)
第53巻 p.199-200(DK530035k)
是日、上野精養軒ニ於テ、全国化学工業大会開カル。栄一、出席シテ演説ヲナス。
7款 其他 2. 東洋薬品株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第53巻 p.200-201(DK530036k)
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7款 其他 3. 雑
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第53巻 p.201-202(DK530037k)
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11節 瓦斯
1款 東京瓦斯株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年5月25日
(1910年)
第53巻 p.203-205(DK530038k)
是日、当会社ニ於テ、増資ニ関スル大株主協議会開カレ、栄一出席ス。右増資ハ、七月二十五日臨時株主総会ニ於テ議決セラル。
明治44年9月13日
(1911年)
第53巻 p.205-216(DK530039k)
是ヨリ先、千代田瓦斯株式会社設立セラレ、当会社トノ間ニ激烈ナル競争ヲ惹起ス。岡崎邦輔等三名ハ、両会社ヲ合併セシメントシ、栄一ニ交渉方ヲ依頼ス。栄一、之ヲ諾シテ種種尽力シ、八月二十一日、両会社合併仮契約ノ締結ヲ見ルニ至ル。
是日、上野精養軒ニ於テ、当会社大株主会開カル。栄一出席シ、合併ノ緊要ナル所以ヲ力説ス。該合併仮契約ハ、九月十八日東京商業会議所ニテ開カレタル当会社臨時株主総会ニ於テ承認セラル。
明治44年12月27日
(1911年)
第53巻 p.216-220(DK530040k)
是月二十五日、合併成立後ノ当会社ト東京市トノ間ニ、特許契約締結セラル。栄一、之ニ与ル。二十七日、東京商業会議所ニ於テ、当会社臨時株主総会開カレ、該特許契約承認セラル。
明治45年2月20日
(1912年)
第53巻 p.220-221(DK530041k)
是日、東京商業会議所ニ於テ、当会社臨時株主総会開カル。千代田瓦斯株式会社合併ニ伴フ増員取締役及ビ監査役選挙ノ件ハ、栄一外二名ノ詮衡ニ一任ノコトトナリ、栄一ヨリ、取締役ニ利光鶴松外三名ヲ、監査役ニ木村省吾ヲ指名ス。
大正元年12月
(1912年)
第53巻 p.221-223(DK530042k)
是月栄一、当会社ヨリ、明治天皇御大葬当夜ノ照明ニ供セシ篝火器具ヲ記念トシテ贈ラル。
大正4年1月30日
(1915年)
第53巻 p.223-225(DK530043k)
是日、東京商業会議所ニ於テ、当会社定時株主総会開カレ、栄一出席ス。取締役及ビ監査役改選等ノ議案ニ付キ、栄一外六名ノ委員ニ付託セラレ、栄一、審議ノ結果ヲ報告ス。
大正4年5月28日
(1915年)
第53巻 p.225-226(DK530044k)
是日、東京商業会議所ニ於テ、当会社臨時株主総会開カル。取締役福島甲子三・平松末吉辞任ニ付キ、退職慰労金贈呈ノ件、栄一外六名ノ委員付託トナル。
大正7年6月
(1918年)
第53巻 p.226-232(DK530045k)
欧洲大戦以後、石炭其他諸材料及ビ労銀昂騰ニヨリ瓦斯製造費甚シク増嵩ス。因テ当会社瓦斯料金ヲ値上ゲセントセシガ、東京市会ニ於テ問題化シ、議事ニ上ル。是月栄一、東京市長田尻稲次郎ヲ訪問シ、当会社ノ実情視察ヲ要請ス。十月二十六日、当会社ハ田尻市長宛料金改正ヲ請願ス。
昭和4年6月22日
(1929年)
第53巻 p.232-271(DK530046k)
是ヨリ先、東京市ハ市会ノ決議ニヨリ、当会社ニ対シテ料金ノ値下ト計量器使用料ノ廃止ヲ求メシモ、当会社ハコレヲ拒ミ、当会社ハ資本金増額ヲ市ニ申請セシモ、市ハコレヲ容レズ、ココニ紛糾ヲ生ゼリ。
是日、星野錫・坪谷善四郎・山崎亀吉・田川大吉郎等、栄一ヲ飛鳥山邸ニ訪ヒ、コレガ調停ヲ懇請ス。栄一、井上準之助ニ諮リテ調停ニ立タントセシモ、辞退ス。
八月ニ至リ、該問題ニ関シテ天皇陛下ヨリ商工大臣俵孫一ニ御下問ノ事アリ。ココニ於テ当会社常務取締役鈴木寅彦ハ更メテ栄一ニ調停ヲ乞フ。栄一、郷誠之助・大橋新太郎ト共ニ調停ニ立タントシタルモ、八月十二日開カレタル市会全員協議会ニ於テ、調停拒絶ノ決議行ハル。仍ツテ調停ノコト止ム。
昭和6年11月15日
(1931年)
第53巻 p.271-272(DK530047k)
是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ、当会社社長岩崎清七ヨリ弔詞ヲ贈ル。
2款 北海道瓦斯株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年7月14日
(1910年)
第53巻 p.273-279(DK530048k)
是ヨリ先、栄一、高松豊吉・久米良作・福島甲子三・大橋新太郎・梅浦精一・園田実徳等ト共ニ、北海道各都市ニ供給スベキ瓦斯会社ノ設立ヲ出願ス。是日、東京瓦斯株式会社ニ栄一等集会シテ、同道ニ於テ瓦斯事業ヲ創設セントスル他ノ出願者トノ統一ニ付キ、代表者及ビ交渉委員ヲ選挙ス。右ハ北海道ニ於ケル各地ノ瓦斯事業ヲ一会社ニ統一経営セシメントスル道庁ノ主意ニ依ル。
十一月十二日、東京商業会議所ニ当会社発起人総会開カル。栄一、発起人タリ。
明治44年6月29日
(1911年)
第53巻 p.279-285(DK530049k)
是日栄一、東京商業会議所ニ開カレタル当会社創立総会ニ出席シ、取締役銓衡委員ヲ指名ス。栄一株主タリ。
3款 帝国瓦斯協会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治45年6月13日
(1912年)
第53巻 p.286-287(DK530050k)
是日栄一、当協会名誉会員ニ推サル。
4款 東洋瓦斯試験所
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
昭和2年11月28日
(1927年)
第53巻 p.288-299(DK530051k)
是ヨリ先、当試験所設立サレ、財団法人理化学研究所ノ発明ニ係ルアドソールノ工業的応用試験ヲナシ来リシガ、是日、工業倶楽部ニ於テ当試験所組合員総会ヲ開キ、栄一及ビ大河内正敏ノ通知ニ基キ、当試験所ヲ解散シテ、ソノ財産及ビ業務ヲ理化学興業株式会社ニ譲渡スベキコトヲ議決ス。
12節 電気
1款 広島水力電気株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年――大正14年
(1911-1925年)
第53巻 p.300-304(DK530052k)
栄一、当会社相談役辞任後モ、当会社ノ指導ニ尽力ス。尚、当会社、他会社トノ合併ニ依リ、明治四十四年広島呉電力株式会社ト改称シ、更ニ大正十年広島電気株式会社トナル。
2款 猪苗代水力電気株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年10月30日
(1911年)
第53巻 p.305-315(DK530053k)
是ヨリ先、栄一、豊川良平・仙石貢・原六郎等ト共ニ当会社設立ニ尽力ス。是日、東京商業会議所ニ於テ創立総会開カル。栄一出席シ、議長トナリテ議事ヲ司宰ス。
3款 東京市ニ於ケル電灯電力統一問題
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正4年1月23日
(1915年)
第53巻 p.316-342(DK530054k)
是ヨリ先、東京市内ニ電灯及ビ電力ヲ供給セル東京市電気局・東京電灯株式会社及ビ日本電灯株式会社ノ間ニ競争ヲ生ジ、漸ク之ガ激烈トナルニ及ンデ統一ノ機運促サレ、栄一及ビ森村市左衛門其仲介ヲ委嘱セラル。是日渋沢事務所ニ三者ノ代表ヲ招キテ電灯市営統一案ヲ呈示ス。然レドモ東京電灯株式会社ノ不同意ニ依リ遂ニ交渉不調ニ終ル。
4款 其他 1. 武蔵水電株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第53巻 p.343(DK530055k)
--
4款 其他 2. 東京電力株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第53巻 p.343(DK530056k)
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13節 土木・築港・土地会社
1款 関門架橋株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年8月31日
(1911年)
第53巻 p.344-345(DK530057k)
是ヨリ先、栄一、岩下清周・村井吉兵衛・郷誠之助・渡辺嘉一等ト共ニ、関門海峡ニ橋梁ヲ架シテ山陽・九州両鉄道ヲ接続シ、且之ニ電気軌道ヲモ敷設スルノ目的ヲ以テ、当会社ヲ創立セントシ、是日出願ス。陸・海軍、内務ノ三省及ビ鉄道院ニ於テ詮議ノ結果不許可トナル。
2款 鶴見埋築株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治45年2月17日
(1912年)
第53巻 p.346-351(DK530058k)
是ヨリ先、浅野総一郎、京浜間鶴見・川崎地先ノ海面埋立ヲ計画シ、栄一ニ議ルトコロアリシガ、是日、帝国ホテルニ於テ当会社創立ニ関スル協議会開カル。次イデ大正二年一月五日及ビ二月五日ニモ、同協議会開カレ、栄一、ソレゾレ出席ス。当会社ハ、浅野総一郎及ビ栄一・安田善次郎・大川平三郎・白石元治郎等ヲ発起人トシテ、大正三年三月設立セラル。
3款 田園都市株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正5年11月20日
(1916年)
第53巻 p.352-359(DK530059k)
是ヨリ先、東京市郊外ニ於テ、田園都市経営ノ土地会社ヲ設立セントスル計画アリ、栄一、之ニ与ル。是日、東京商業会議所ニ於テ、其創立委員会開カル。栄一出席シテ、土地ノ選定及ビ軽便鉄道ノ敷設等ニツキ協議ス。爾後数次ニ亘リテ開カレタル同委員会ニモ、栄一、ソレゾレ出席ス。
大正7年9月2日
(1918年)
第53巻 p.359-370(DK530060k)
是日、日清生命保険会社内ニ於テ、当会社創立総会開カル。栄一、中野武営・星野錫・服部金太郎・柿沼谷雄等ト共ニ発起人タリ。爾後栄一、当会社ノタメ尽力スルトコロ頗ル多シ。
大正10年3月16日
(1921年)
第53巻 p.370-373(DK530061k)
是日栄一、報知新聞記者ノ来訪ニ接シ、田園都市建設ノ動機及ビ其計画等ニツキ語ル。
大正12年1月11日
(1923年)
第53巻 p.373-377(DK530062k)
是日栄一、当会社重役会ニ出席シ、当会社ノ将来ニツキ意見ヲ述ブ。其後モ栄一、当会社重役会及ビ其他ノ会合ニ屡々出席ス。
昭和2年6月30日
(1927年)
第53巻 p.377-387(DK530063k)
是日、多摩川園ニ於テ、当会社関係地主等地元有志主催ノ栄一歓迎会挙行セラル。栄一、出席シテ演説ヲナス。
席上栄一、当会社ノ事業発展ヲ賀シテ、一詩ヲ賦シ、当日随行ノ二松学舎漢学者、之ニ唱和ス。後、之等ノ漢詩ヲ集輯シテ「玉川唱和集」刊行セラル。
昭和2年10月3日
(1927年)
第53巻 p.387-391(DK530064k)
是日、生命保険会社協会ニ於テ、当会社臨時株主総会開カレ、九月十五日締結セラレタル当会社ト目黒蒲田電鉄株式会社トノ合併契約承認ノ件可決セラレ、当会社ハ昭和三年四月三十日ヲ以テ解散ノコトトナル。
昭和3年5月5日
(1928年)
第53巻 p.391-399(DK530065k)
是日栄一、当会社解散記念トシテ、当会社社長矢野恒太ヨリ金一封及ビ銀製フルーツ・セット一組ヲ贈ラル。
4款 東京運河土地株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正8年12月
(1919年)
第53巻 p.400-405(DK530066k)
是月、栄一等ノ賛助ニヨリ当会社創立セラル。渋沢同族株式会社取締役増田明六、当会社監査役トナル。
大正12年6月12日
(1923年)
第53巻 p.405-417(DK530067k)
是日、当会社第一期線運河ニ架セラレタル三橋梁ノ命名及ビ渡橋式挙行セラル。栄一、出席シテ祝辞ヲ述べ、且渡リ初メニモ参列ス。
5款 東京湾埋立株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正9年1月20日
(1920年)
第53巻 p.418-420(DK530068k)
是日、鉄道協会ニ於テ、鶴見埋築株式会社ノ株主協議会開カレ、同会社ヲ合併シテ其業務ヲ継承スル目的ヲ以テ、新タニ当会社ヲ設立スルコトヲ決ス。増田明六、渋沢同族株式会社ヲ代表シテ出席ス。
当会社ハ、浅野総一郎・安田善次郎・大川平三郎・白石元治郎・増田明六等ヲ発起人トシテ設立セラレ、同年三月、前記合併成ル。
6款 仙石原地所株式会社 箱根温泉供給株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
昭和3年3月14日
(1928年)
第53巻 p.421-428(DK530069k)
是日栄一、渋沢事務所ニ於テ、益田孝・安川雄之助等ト会シ、明治十三年以来益田・三井両家ト共有シ来レル箱根仙石原ノ土地ヲ基トシテ、資本金百万円ノ株式会社設立ヲ内定シ、又、予テ宮内省帝室林野局ノ勧奨ニ係ル温泉供給会社ノ設立ニ関シ協議ヲナス。
昭和3年7月26日
(1928年)
第53巻 p.428-431(DK530070k)
是日、渋沢事務所ニ於テ、阪谷芳郎・渋沢秀雄・渋沢敬三・田中文蔵・佐々田彰夫・益田太郎・益田信世ノ七名ヲ発起人トシテ、仙石原地所株式会社創立総会開カル。阪谷芳郎・渋沢秀雄取締役ニ、増田明六監査役ニ選任セラル。
昭和6年6月16日
(1931年)
第53巻 p.431-443(DK530071k)
是ヨリ先、阪谷芳郎・渋沢秀雄・益田信世・佐々田彰夫・東郷直等ヲ発起人トシテ、資本金三万円ノ箱根温泉供給株式会社設立セラル。是日、臨時株主総会ヲ開キ、既定方針ニ基キテ資本金ヲ百五十万円ニ増加シ、其一部ハ、箱根大涌谷所在ノ宮内省御料地其他ノ現物出資ニヨルコトヲ議決ス。栄一、之ニ与ル。
14節 取引所
1款 東京株式取引所
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年1月23日
(1910年)
第53巻 p.444(DK530072k)
是日栄一、当取引所ノ新年宴会ニ出席ス。
明治44年2月2日
(1911年)
第53巻 p.444-445(DK530073k)
是日、当取引所ノ増築工事竣成祝賀会挙行セラレ、栄一、大隈重信・益田孝・大倉喜八郎等ト共ニ招待セラル。栄一出席シテ、回顧談ヲナス。
明治44年4月
(1911年)
第53巻 p.445-447(DK530074k)
是月栄一、毎夕新聞記者ノ質問ニ対シ、角田真平ノ当取引所調査部長就任ニ関係ナキコトヲ説明ス。
明治44年11月
(1911年)
第53巻 p.447-448(DK530075k)
是月栄一、当取引所理事長後任問題ニ関与スルトコロアリ。
明治45年1月30日
(1912年)
第53巻 p.448(DK530076k)
是日栄一、当取引所ノ新年宴会ニ出席ス。
明治45年3月
(1912年)
第53巻 p.448-450(DK530077k)
是ヨリ先、当取引所新株直取引ノ受渡ニ付キ紛議ヲ生ジ、一時、其取引ノ休止ヲ見ルニ至リ、監督官庁ヨリモ之ガ規正ニ関スル令達アリ。是月発行ノ東京経済雑誌、之ニ関スル栄一ノ談話ヲ掲載ス。
大正2年10月5日
(1913年)
第53巻 p.450-451(DK530078k)
是日栄一、当取引所営業満期継続祝賀会ニ出席シ、来賓総代トシテ祝辞ヲ述ブ。
大正6年1月28日
(1917年)
第53巻 p.451-452(DK530079k)
是日栄一、当取引所ノ新年宴会ニ出席シ、祝辞ヲ述ブ。
大正8年1月26日
(1919年)
第53巻 p.452(DK530080k)
是日栄一、当取引所ノ新年宴会ニ出席ス。
大正12年11月15日
(1923年)
第53巻 p.452-455(DK530081k)
是年九月一日ノ関東大震火災ニヨリ当取引所全焼シ、爾来休場中ナリシガ、十月十六日、日本興業銀行内ニ於テ国債取引ヲ、同月二十七日、茅場町河岸天幕内ニ於テ実物取引ヲ再開シ、次イデ是日、日本橋区中外商業新報社内ニ於テ清算取引ヲ再開スルニ至ル。之ニ関スル栄一ノ談話、中外商業新報ニ掲載セラル。
昭和3年9月30日
(1928年)
第53巻 p.455-459(DK530082k)
是日栄一、当取引所創立五十周年記念祝賀会ニ出席シ、祝辞ヲ述ブ。
昭和6年11月15日
(1931年)
第53巻 p.459-460(DK530083k)
是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ、当取引所理事長岡崎国臣弔詞ヲ贈ル。
2款 大阪株式取引所
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年4月22日
(1910年)
第53巻 p.461-465(DK530084k)
是日栄一、岩本栄之助等ノ懇請ニヨリ大阪株式取引所ヲ視察シタル後、灘万楼ニ於ケル招宴ニ出席シ、「本邦公債制度の起原」ト題シ演説ス。
3款 東京米穀商品取引所
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正7年1月17日
(1918年)
第53巻 p.466(DK530085k)
是日、両国福井楼ニ於テ、当取引所新年宴会開カル。栄一出席ス。
大正8年1月17日
(1919年)
第53巻 p.466-467(DK530086k)
是日、両国福井楼ニ於テ、当取引所新年宴会開カル。栄一出席シテ挨拶ヲナス。
4款 株式取引所限月短縮問題
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正14年2月16日
(1925年)
第53巻 p.468-492(DK530087k)
是ヨリ先、取引所法ノ改正ニヨリ、有価証券長期取引ノ限月短縮セラレタルニ対シ、全国株式取引所及ビ取引員組合ハ、挙ツテ之ガ実施ノ延期ヲ要望シ、政府当局及ビ其他関係各方面ニ訴フルトコロアリ。是日栄一、東京株式取引所理事長岡崎国臣ノ来訪ニ接シ、右問題ニ関シ援助ヲ懇請セラル。仍ツテ三月上旬、栄一、農商務大臣高橋是清ニ対シ、財界全般ノ観点ヨリ右実施期ノ延長ヲ妥当トスル旨ノ意見書ヲ提出ス。
右取引所法改正ハ四月一日実施ヲ見、全国株式取引所及ビ取引員組合ハ更ニ限月復旧運動ヲ起シ、各方面ニ陳情ス。
15節 倉庫
1款 渋沢倉庫株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治42年7月15日
(1909年)
第53巻 p.493-499(DK530088k)
是ヨリ先、渋沢倉庫部ハ、業務ノ発展ニ伴ヒ、組織ヲ改メテ株式会社トスルニ決シ、栄一・長男篤二・尾高幸五郎・八十島親徳・利倉久吉・松平隼太郎・増田明六ノ七名発起人トナル。是日、渋沢事務所ニ於テ其創立総会開カル。栄一出席シ、議長トナリテ議事ヲ司宰ス。長男篤二、当会社取締役会長トナル。
当会社ハ、渋沢倉庫部ノ資産及ビ業務一切ヲ継承シ、同月十九日ヨリ営業ヲ開始ス。
明治42年8月30日
(1909年)
第53巻 p.499-500(DK530089k)
是日栄一、渡米ノ船中ヨリ、当会社専務取締役八十島親徳ニ書翰ヲ寄セ、当会社ノ経営ニ関シ指示ヲ与フ。
明治43年1月25日
(1910年)
第53巻 p.500-505(DK530090k)
是日、当会社本店ニ於テ、第一回定時株主総会開カル。栄一出席シ、新築ノ鉄筋コンクリート倉庫等ヲ一覧ス。
大正2年1月1日
(1913年)
第53巻 p.505-507(DK530091k)
是日栄一、渋沢事務所ニ於テ、当会社社員ヨリ年頭ノ祝賀ヲ受ク。
大正8年10月9日
(1919年)
第53巻 p.507-509(DK530092k)
是日当会社、定雇人夫制度ヲ改正シ、一旦全員ヲ解雇シタル後、更メテ新規雇用ノコトトシタルガ、其選ニ漏レタル分子ハ全員ノ再雇用ヲ強要シ、飛鳥山邸ニ到リテ栄一ニ面会ヲ求ムル等ノ所為アリシモ、程ナクシテ沈静ニ帰ス。
大正9年1月1日
(1920年)
第53巻 p.509(DK530093k)
是日及ビ大正十年一月一日、栄一、渋沢事務所ニ於テ、当会社社員一同ヨリ年頭ノ祝賀ヲ受ク。
大正11年3月30日
(1922年)
第53巻 p.509-517(DK530094k)
是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当会社創業満二十五年祝賀会開カル。栄一出席シテ祝辞ヲ述ブ。
昭和2年1月10日
(1927年)
第53巻 p.517-522(DK530095k)
是日栄一、佐々木勇之助ノ来訪ニ接シ、当会社重役ノ選任ニ関シ協議ス。
昭和2年10月27日
(1927年)
第53巻 p.522(DK530096k)
是日栄一、当会社支店長等ヲ飛鳥山邸ニ招待シテ、晩餐会ヲ開ク。
昭和3年1月1日
(1928年)
第53巻 p.522-525(DK530097k)
是日栄一、飛鳥山邸ニ於テ、当会社社員一同ヨリ年頭ノ祝賀ヲ受ク。
昭和4年10月
(1929年)
第53巻 p.525-527(DK530098k)
是月初旬、東京砂糖取引所ノ当会社ニ対スル指定倉庫取消問題起ル。栄一、之ヲ憂慮シ、当会社営業部長林弥一郎ヲ招致シテ、事情ヲ聴取ス。
昭和5年1月1日
(1930年)
第53巻 p.527-528(DK530099k)
是日栄一、飛鳥山邸ニ於テ、当会社社員一同ヨリ年頭ノ祝賀ヲ受ク。
2款 其他 1. 王子倉庫株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正8年9月15日
(1919年)
第53巻 p.529(DK530100k)
是日、王子町扇屋ニ於テ、当会社創立総会開カル。栄一、之ニ与ル。
2款 其他 2. 雑
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第53巻 p.529-531(DK530101k)
--
16節 ホテル
1款 株式会社帝国ホテル
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治42年7月16日
(1909年)
第53巻 p.532-534(DK530102k)
是日栄一、山中商店ニュー・ヨーク支店主任林愛作ヲ、当会社ノ取締役兼支配人トシテ起用スル件ニ関シ、松本重太郎ニ書翰ヲ送リ、其尽力ヲ依頼ス。
明治43年1月15日
(1910年)
第53巻 p.534-536(DK530103k)
是日栄一、当ホテルニ於ケル当会社重役会ニ出席シ、ホテル経営ニ関シテ意見ヲ述ブ。爾後栄一、屡々当会社重役会及ビ其他ノ会合ニ出席シ、又、内閣総理大臣桂太郎・農商務大臣大浦兼武・宮内大臣波多野敬直等ヲ訪問スル等、当会社ノタメ尽力スルトコロ少ナカラズ。
大正11年4月16日
(1922年)
第53巻 p.536-538(DK530104k)
是日、当ホテル地下室ヨリ出火シ、本館全部ヲ焼失ス。栄一現場ニ臨ミテ、支配人林愛作ヲ慰諭ス。
大正15年7月13日
(1926年)
第53巻 p.538-540(DK530105k)
是日、当ホテルニ於テ、栄一ノ寿像除幕式挙行セラル。栄一出席シテ謝辞ヲ述ブ。
昭和6年11月15日
(1931年)
第53巻 p.540-551(DK530106k)
是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ、当会社取締役会長大倉喜七郎ヨリ弔詞ヲ贈ル。
2款 日本ホテル協会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治45年2月10日
(1912年)
第53巻 p.552-554(DK530107k)
是日栄一、帝国ホテル支配人林愛作ノ主催ニカカル、当協会晩餐会ニ出席シ、演説ヲナス。