デジタル版「実験論語処世談」(25) / 渋沢栄一

5. 菅原道真は情の人

すがわらみちざねはじょうのひと

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 菅原道真なども、猶且顔回に等しく、一箪の食一瓢の飲に甘んじ、陋巷に在つて他人の堪へ難しとする憂ひに堪へ、学を好み道を楽む事を改めなかつた人であると云へる。道真と争つた藤原時平とても素より非凡の才能を備へた人物で、決して凡骨では無かつたのであるが、関白基経の長子で、道真に比すれば門閥高く、政治家としても若いに似合はず却〻の切れ者であつたところより、門閥と才とに慢心を生じ之を鼻にかけて重厚なる道真を凌ぐに至つたのである。道真は参議是善の第三子であつたものの、時平に比ぶれば遥に門地低く、才は寧ろ無い方で稍〻頑固なところがあり、学問の方で出世した人で、年輩も五十を越して居つたのだから、時平と醍醐天皇の朝に左右大臣として両立するに及び、相容れぬやうになつたのも当然である。
 道真は、仮令多少頑固な性分があつたにせよ、生れつき極々生真面目で、学を好むこと顔回の如き性質ゆゑ、随つて人情にも頗る篤かつたものである。かの有名なる「去年今夜侍清涼」の詩なども、如何に道真が人情に富んだ感激性の人であつたかを語るものだ。其他には、「菅家後集」にある詩のうちには、道真の人情に厚かつた証拠になるものが幾干もある。
 人は幾干才があつても、技能があつても、人情に敦厚なところが無ければ、決して後世までも尊敬せられてその人の名が永く道真の如く竹帛に垂れるものでは無い。それから又、人が自分一人の栄燿栄華を犠牲にして陋巷に居住し、一簞の食一瓢の飲に甘んじ、他人の憂ひに堪へずとする処に能く堪へてゆく事は、非常に人心を感動させるものである。菅原道真でも、楠正成でも、今日に至るまで多大の感動を人心に与ふる所以は、人情に厚く犠牲的精神に富んで居つたからだ。之に反し如何に才能識見があつても、人情を無にし犠牲的精神に乏しい人物は、徒に後世に悪名を残すのみのものである。時平にしても、尊氏にしても、光秀にしても、その才能の上からのみ云へば決して凡人で無い。孰れも皆凡人以上の傑物である。然るに芝居なぞで観れば時平の如きは途方も無い悪党にされてしまつて居る。一に人情を無にし犠牲的精神に乏しかつた結果である。斯の点から稽へれば、道真、正成の如きは其当時に於ては寧ろ劣敗者の位置にあつたもので、決して成功者であつたとは云へず、時平、尊氏などが成功者であつたのだ。然し今日となれば、道真、正成などの方が却て成功者で、時平、尊氏などは劣敗者である。成功不成功は永い歳月の淘汰を経てから初めて決せらるべきもので、永遠の成功を収めんとするものは、何よりも人情に厚くなるといふ事が最も大切だ。

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デジタル版「実験論語処世談」(25) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.166-170
底本の記事タイトル:二三七 竜門雑誌 第三四九号 大正六年六月 : 実験論語処世談(二五) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第349号(竜門社, 1917.06)
初出誌:『実業之世界』第14巻第8号(実業之世界社, 1917.04.15)