デジタル版「実験論語処世談」(26) / 渋沢栄一

1. 道を行ふ力の大小

みちをおこなうちからのだいしょう

(26)-1

冉求曰。非不説子之道、力不足也。子曰。力不足者、中道而廃。今女画。【雍也第六】
(冉求曰く。子の道を説《よろこ》ばざるに非ず、力足らざる也。子曰く、力足らざる者は、中道にして廃す。今、女《なんじ》は画す。)
 冉求は孔夫子十哲の一人だが、孔夫子の説かるる道は、誠に結構なものであると思ひながらも、之を悉く実行するのは却〻容易な事で無いと感じたので、迚も自分の如き下智のものには力が足ら無くつて実行が至難である旨を孔夫子に申上げると、孔夫子は一言の下に之を却けられ、実際力が足ら無くつて実行し得られぬといふのなら、倒れて後に息むの意気あつて然るべきものなるにも拘らず、実行に取りかかりさへせぬうちから、早や自分の力が弱つて迚も駄目であるなぞと悲観してしまふのは、是れ自暴自棄の甚しきもので、まだ自分の力の有るつたけに馬力をかけず、努力を惜んで居るにも等しいものであると仰せられたのが、茲に掲げた章句の意味である。
 如何にも孔夫子が冉求を戒められた言の通りで、道は之を身に体して行はうとさへすれば、誰にも必ず行ひ得らるるものである。人には皆道を行ふに足るだけの力のあるものだ。ただ人によつて力に大小の差があるので、同じく道を行ふにしても、その道に大と小との別がある。これは私のみならず安積艮斎なども既に言うて居る処であるが、賢者の行ふ道は同じ道でも大きく、不肖者の行ふ道は同じ道でも小さいものである。大きな力の人は大きな道を行ひ得るが、小さな力の人は小さな道より行ひ得ないものである。然し、賢者の道も不肖者の道も、共に道たるに至つては一つである。
 ところが昨今では、道を唯口端で説くのみに止め、之を実地に行ふ者が至つて稀であるかのやうになつて来た。これは如何にも慨かはしい至りだが、甚しい極端な連中になると、口端で説くのみで行はぬぐらゐなら未だしも、道と行とは全く別々のものであるかの如くに心得道は口端で説いて居りさへすれば其れで可い、決して実行すべきもので無い、道によつて世に立つては迚も世渡りができぬなぞと、道を神様か仏様の如く高いところへ片付けてしまつて、道は難有くもあり立派なものでもあるが、之を実行する為にあるもので無いから、道は道として崇める振りをして見せ、仮令実行しなくても其れで人の務めは済むものであるなぞと考へて居る。然し、道は実行によつて始めて価値の生れてくるもので、神棚の上や仏壇の中へ片付けて置いたのでは道にも頓と其価値が無くなつてしまふものだ。

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デジタル版「実験論語処世談」(26) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.174-181
底本の記事タイトル:二四〇 竜門雑誌 第三五〇号 大正六年七月 : 実験論語処世談(二六) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第350号(竜門社, 1917.07)
初出誌:『実業之世界』第14巻第9,10号(実業之世界社, 1917.05.01,05.15)