デジタル版「実験論語処世談」(26) / 渋沢栄一

3. 行ひには志が大事

おこないにはこころざしがだいじ

(26)-3

 如何に口が達者で能く人を説き伏せ得られても、行ひの修まらぬ人物は、到底信用し得られるもので無い。大事を托し得らるるは口の人よりも行ひの人である。然し又世の中には、口も巧いが行ひも之につれて巧い人がある。仮令ば、成田屋贔屓の処へ行けば切りに団十郎を賞めて之を天下一品の役者であるかの如くに称揚するが、音羽屋贔屓の処へ行つては、前と全く反対で切りに菊五郎を賞め揚げ、団十郎の芸は重くつて駄目であるなぞと卑下したりする。斯る人は口が巧いのみならず又其行ひも巧みで能く人に悦ばれもするが、其志に至つては唾棄すべきほどに劣等なものであると謂はねばならぬ。故に、信ずべき人と信ずべからざる人を区別するには、単に其口と行ひとのみによつても判別するわけにゆかぬものだ。更に進んで、其人の志如何を洞察する必要がある。さればとて、人は、口や行ひが如何でも、その志が立派でさへあればそれで宜しいといふものでも無い。志が立派で他人に親切を尽す積りでも、その行ひが若し志に副うて居らぬやうでは親切が親切にならず、却て仇になり、他人の妨害となるぐらゐなら未だしも、甚しきに至つては、他人に損害を与へるまでにさへなるものだ。
 井上侯は従来談話したうちにも申述べて置いたやうに、至つて親切な御仁で、飽くまで他人の面倒を見てやることを得意にせられたものだが、元来が短気な質ゆゑ、親切をしてやる代りに何でも他人を自分の意見の通りに直してしまはうとせられたものである。畢竟、井上侯は、親切の押売を得意にせられた御仁である。その結果、世間からは往々にして「井上さんの御親切は誠に辱いが、御親切にしてもらへばもらうほどそれだけ却て困る」なぞと怨言を吐かれたもので、井上侯の親切振りは何時でも難有迷惑に思はれるのが例であつた。否な、大抵の人は井上侯から親切にせられるのを却て迷惑に感じて居つたものである。
 曾て孟子は、事に食ましむるのか、志に食ましむるのかとの問ひを設けて之を論究せられた時に、志に食ましむるのでは無い、事に食ましむるのであるとの決定を与へて居られるが、如何にも其通りで、人が人の親切を難有く思ふのは、その親切な志よりも親切な行ひに対してである。然し又、行ひが如何に親切であつても、志が賤しくあれば人は之に対しても決して難有く感ぜぬものである。故に、人は行ひに志を伴はせ、志に行ひを伴はせるやうに致さねば相成らぬものだ。

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キーワード
行ひ, , 大事
デジタル版「実験論語処世談」(26) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.174-181
底本の記事タイトル:二四〇 竜門雑誌 第三五〇号 大正六年七月 : 実験論語処世談(二六) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第350号(竜門社, 1917.07)
初出誌:『実業之世界』第14巻第9,10号(実業之世界社, 1917.05.01,05.15)