デジタル版「実験論語処世談」(26) / 渋沢栄一

8. 人を用ひる三方法

ひとをもちいるさんほうほう

(26)-8

子游為武城宰。子曰。女得人焉爾乎。曰。有澹台滅明者。行不由径非公事未嘗至於偃之室也。【雍也第六】
(子游、武城の宰と為る。子曰く、汝、人を得たるか。曰く、澹台滅明なる者あり。行くに径に由らず、公事に非ずんば未だ曾て偃の室に至らず。)
 如何なる英雄豪傑と雖も、如何なる才人智者と雖も、自分一人のみでは到底大した事業を営み得らるるもので無いので、家康公には彼の有名なる本多、井伊、酒井、土井などの四天王があつた。石田三成はマコトの足らなかつた人ではあるが、才人であつた丈けに部下に人才を得なくつては何も出きるもので無い事に能く気がつき、秀吉に仕へて食禄僅に二万石の頃、既に其の一半一万石を割いて之を島左近に与え、軍師として抱へ入れたといふ話は有名なものである。茲に掲げた章句は、孔夫子の御弟子で其名を偃と申した子游が、武城といふ采邑の長官となつて孔夫子に謁したる際、孔夫子は子游の身の上を気遣はれ、苟くも采邑の長官となれば、先づ何よりも部下に其人を得なければ善政を施き得らるるもので無いと考へられたので、之に就て問ひ訊された、子游が其れに答へた次第を記したものであるが、子游は澹台滅明と称する人物が、大道のみを歩いて如何に近道だからとて危険な横径などを縫つては歩かず、公用で無ければ長官たる偃即ち子游の室へ顔出しさへせぬ堅実な処世振りを見抜いて、之を重く用ひたのである。
 凡そ人を択み人を採用するにはその方法が三つある、第一は適材を適所に置く法で、既に在る事業の為に之に適する適材を発見し、之を重用するのが即ち其れである。第二は或る特種の才とか特長といふものを発見して其人に惚れ込み何となく之を重用する法である。第三は人物の全体に就き観察し、その堅実なるを見抜いて之に惚れ、其人を重用して大事を任せるやうにする法である。
 適材を発見して之を適所に配置する事は、決して失敗を伴ふもので無いが、或る優れた特種の才能のある人を発見してその才能に惚れ込み、人物の全体を銓衡するに遑無く、その人物を重用して大事を托するが如きは頗る危険なもので、後に至り失敗を招くに至る例は随分世間に多くある。之に反し、人物の全体を観察し、其確実なるを知つて後に始めて用ひる方は、単に或る特種の才能にのみ惚れ込んで之を重用するに比すれば遥に安全で間違ひの尠ないものだ。仏蘭西人が人を用ひる法は、主として其人にある特種の才能に重きを置くにあるが、英吉利人が人を用ひる法は其人にある特種の才能に重きを置かず、人物全体を観察して確な人を重用するところにあるらしく思はれる。英人の事業が世界何れの方面に於ても健実なる発達を遂げて居るのは、この人物採用法が与つて力のあるものと私は考へるのである。

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デジタル版「実験論語処世談」(26) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.174-181
底本の記事タイトル:二四〇 竜門雑誌 第三五〇号 大正六年七月 : 実験論語処世談(二六) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第350号(竜門社, 1917.07)
初出誌:『実業之世界』第14巻第9,10号(実業之世界社, 1917.05.01,05.15)