デジタル版「実験論語処世談」(26) / 渋沢栄一

4. 君子儒と小人儒との別

くんしじゅとしょうじんじゅとのべつ

(26)-4

子謂子夏曰。女為君子儒。無為小人儒。【雍也第六】
(子、子夏に謂つて曰く、女は君子の儒と為れ。小人の儒と為る無かれ。)
 茲に掲げた章句にある「君子儒」とは如何なるものか、「小人儒」とは如何なるものかに就ては、古来随分議論がある。苟も道徳あり文芸ある者は総て是れ「儒」と称せらるべきであるだらうが、そのうちにも、文芸を以て立つ儒者と、道徳を以て立つ儒者との別がある。文芸を以て立つ儒者は是れを称して小人儒と謂ひ、道徳を以て立つ儒者は是れを称して君子儒と謂ふべきものだらうと私は思ふが、「朱子集註」の圏外には、謝氏の説として、小人儒とは利を事とする儒者で、君子儒とは義に就く儒者の事であるとの意が載せられてある。然し之は宋儒の曲説で、猶且君子儒とは道徳によつて立ち、経世済民を以て我が天職なりとする儒者を指し、小人儒とは徒に文芸を講ずるのみを是れ事とし、経世済民の念が毫も無い腐儒の事であらうと私は思ふのだ。
 仏教には大乗と小乗との別のあるものと聞き及んで居るが、仏教の言葉を仮りて言へば「君子の儒」とは大乗の儒者の事で、「小人の儒」とは小乗の儒者の事である。医者なぞも人身の病を療すのは小医で、国家の病を療すのが是れ大医であると昔から謂はれて居るが、小人儒と君子儒との別が恰度それだらう。孔夫子は御弟子の子夏が単に文学に長じて居つたのみならず、高遠の理想を懐いて居る儒者であるのを看取せられ、徒に文筆に齷齪する小乗の儒者とならず、道徳を以て国を治め、経世済民の為に力を致す大乗の儒者となれよと勧告せられたのである。
 私の経験した範囲内から申せば、維新前の儒者よりも維新頃の儒者に、君子の儒と目せらるべき儒者が多いやうに思はれる。然し、私が郷里から初めて江戸に出て来た際に入塾した海保塾の海保漁村先生は経世済民の志ある君子の儒と称せらるべき人で無かつた。私は多少漢学の素養があるにしても、文章を解剖的に玩味するほどの力が無いので、海保先生の文章に就ても何処が旨いとまでは申上げかねるが、文章は確かに旨かつたやうである。通称を章之助と申して居られたが、太田錦城の弟子であつたのである。海保先生の子に竹渓と申さるる子があつたが、この方が或は却て父の漁村先生よりも経世済民の志を懐いた君子の儒に近かつたかも知れぬ。

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デジタル版「実験論語処世談」(26) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.174-181
底本の記事タイトル:二四〇 竜門雑誌 第三五〇号 大正六年七月 : 実験論語処世談(二六) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第350号(竜門社, 1917.07)
初出誌:『実業之世界』第14巻第9,10号(実業之世界社, 1917.05.01,05.15)