デジタル版「実験論語処世談」(38) / 渋沢栄一
4. 書経は永久の真理
しょきょうはえいきゅうのしんり
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私の発した是等の質問に対し、ベリー氏とて固より即座に明確なる答を与へられさうな筈は無いが、同氏の答は、兎に角明快を欠いたものであつた。即ち――自分としても戦後の形勢如何に就ては頗る懸念して居る。のみならず、米国の識者間にも種々の議論が戦はされて居る。然し、今日欧洲の天地に無道暴戻の行はれて居るのは、神の力が弱くなつたからでは無い。無道暴戻の者が多く現われて来たからだ。依て今後の宗教家は従前にも倍して発憤努力し、世界の罪悪と戦ひ世界の人類をして、個人としても将又国家としても自己中心の利己的邪念より脱し、利他博愛の精神を発揮するものとならしめねばならぬ。今日、神の力が弱くなつたやうに見えるのは、無道横暴を働く者の力が強くなつたからだ。弱肉強食の惨禍を世界より一掃せんとするには宗教家が単に利他博愛の精神を鼓吹するのみに満足せず、従前よりも力の強いものにならねばならぬ。それで無ければ迚ても、他人の邪念など矯正し得らるるもので無い。――これが大略ベリー氏答弁の趣旨だつたが、ベリー氏とても、宗教家として如何に戦後に処すべきか、到底明快なる案はあるまいと思ふのである。これが解決は単にベリー氏のみならず、総て欧米の宗教家に考慮して貰はねばならぬ点だが、日本人としても、精神的方面に多少の注意を払ふ者は、愈〻益々物質的に傾かんとする今後の大勢を抑止し、之を利他的のものとするには何うすれば可いか、大に研究すべきであらうと思ふのだ。
舜は位を禹に譲らんとするに当り、天下を治むる法を禹に説いて知らしたうちに、「人心惟れ危く、道心惟れ微なり、惟れ精、惟れ一、允に厥の中を執れ」と教へてるが、その意は、人情は兎角得手勝手なもので、道義の念は兎角昧み易いもの故、専心一念能く人情道徳の中庸を得るやうに意を致すべきであるといふにある。上にあつて政を取る者が総てみな斯の心情でありさへすれば、欧洲戦争なんかも起らずに済んだのだが、この心が無いから弱肉強食ともなり暴戻横虐ともなるのである。政治の術には時代によつて如何に変化があつても、其根本には今日でも尭舜禹湯文武の時代でも其間に毫も変無く、「書経」の「尚書」なぞに説いてある処と同一なのだ。
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- デジタル版「実験論語処世談」(38) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.284-290
底本の記事タイトル:二六九 竜門雑誌 第三六四号 大正七年九月 : 実験論語処世談(第卅八回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第364号(竜門社, 1918.09)
初出誌:『実業之世界』第15巻第10,12号(実業之世界社, 1918.05.15,06.15)