6. 高祖の呂后と高宗の武后
こうそのろこうとこうそうのぶこう
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それから唐の時代になつてからも、高宗帝の夫人であつた武后なぞは随分辣腕を揮つた女である。后に冊立せられんとする議あるや、之に反対した者を殺すやら、自分が産んだ子でありながら自分に逆ふからとて太子に鴆毒を飲まして殺してしまふやら、随分勝手な真似をした上に、高宗帝の崩ずるや、その跡を襲いで即位した我が末子に当る中宗帝をも廃して自ら帝と称し、自分に不利なる唐の皇室関係の縁者を盛んに誅殺したりなんかして居る。支那は女が深閨の中にばかり閉ぢ籠つて容易に世間へ顔出しせぬ国風の邦だと謂はれてるが、呂后、武后、西太后等の如く傍若無人に思ひのままの辣腕を揮ふ女は、支那以外の邦に迚ても見られぬのである。支那が今日の如く女に圧迫を加へるやうな例制を施くに至つたのも、支那の女には生れ乍らにして斯る悪辣残忍の性行があるので、之を自由に解放して置けばその跋扈により社会の安寧秩序を害せらるるやうになるのを恐れ、多年の経験から割り出して、女を圧伏する必要を認むるに至つた結果であるやも知れぬ。
- デジタル版「実験論語処世談」(38) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.284-290
底本の記事タイトル:二六九 竜門雑誌 第三六四号 大正七年九月 : 実験論語処世談(第卅八回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第364号(竜門社, 1918.09)
初出誌:『実業之世界』第15巻第10,12号(実業之世界社, 1918.05.15,06.15)