デジタル版「実験論語処世談」(38) / 渋沢栄一

5. 支那の女に辣腕家多し

しなのおんなにらつわんかおおし

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 少し談話は逆戻りするやうになるが、「冉有曰。夫子為衛君乎云云」の一章は、前条に其の章の辞句を冒頭に掲げて感想を述べた際にも詳細申して置いた通り、問答の体が如何にも婉曲で、お互に孰も余りムキに成つて論じ合はず、其れと無く要領を得るやうになつて居り、誠に能く談話応酬の妙を極めたものだと評しても可いのである。又その間には、孔夫子が理窟一遍にも流れず、人情にばかりも囚はれず、義と情と礼とを併せ全うせらるる心持が充分に顕れて居る。これは論語子路篇にある事だが、曾て楚の葉県の知事たる葉公が孔夫子を見、自分の領内に正義の厲行せらるるのを誇気に語り、「吾党に躬を直くする者あり、其父羊を攘みて子之を証す」と、正義の為には子は父を訴へるほどだと得意になつて申されると、孔夫子は言下に、「我党の直き者は是に異なり、父は子の為に隠し、子は父の為に隠す。直きこと其中に在り」と反論し、如何に正義を愛するからとて父子相訴へるやうでは、之を「直」とは称し得られぬ、直の直たる処は子が父の為に隠し、父が子の為に隠す処にあると説破し、義理によつて人情を欠くに至るの非を説かれて居る。斯るところに孔夫子の非凡なる点がある事を忘れてはならぬのだ。
 前条に談話した時にも申して置いた如く、冉有と子貢、子貢と孔夫子との間の問答は、当時衛の君であつた輒と、輒の実父で国外に亡命して居つた蒯聵との間に衛の王位に関して戦争が起つた時に、その頃衛に仕へて居つた冉有が去就に惑うて其裁断を孔夫子に求めんとした際のものであるが、衛君輒の父に当る蒯聵が、その又父なる衛の霊公によつて国外へ逐はれるやうになつたのは一に霊公の夫人たる南子の方寸より出たことで、この南子といふ夫人は却〻煮ても焼いても食へぬ妖婦であつたらしく思へる。南子が宜しからぬ女であることは、論語雍也篇に、「子、南子を見る。子路悦ばず」の句があるによつても明かだ。支那には単り霊公の夫人南子のみならず、最も近い例として清朝の末路に西太后なぞいふ女もあつたほどで、辣腕を政治上に揮ふ女が古往今来却〻に多いのである。

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デジタル版「実験論語処世談」(38) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.284-290
底本の記事タイトル:二六九 竜門雑誌 第三六四号 大正七年九月 : 実験論語処世談(第卅八回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第364号(竜門社, 1918.09)
初出誌:『実業之世界』第15巻第10,12号(実業之世界社, 1918.05.15,06.15)