2. 私もタゴールも同じ
わたしもタゴールもおなじ
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今度の欧洲戦争は、その初め独逸が我儘勝手を逞うして自国の利をのみ計らんとしたのに其端を発するが、タゴールが私と会見した際にも氏の言うた如く、物質的にのみ流れて利己専一になつてしまつてるのは、単り独逸ばかりで無い。西洋諸邦を挙げてみな然りと申しても敢て不可無きほどだ。これでは今度の欧洲戦争が一旦収つて平和が恢復しても、其将来に関し、甚だ以て懸念に堪へぬ次第である。依つて私は、先般廿五年振りで再び来朝した米国の宣教師で医学博士の称号があるジョン・シー・ベリー氏と会談した際にも、是等に関する疑義を同氏に訊してみたのである。
ベリー氏は明治五年に初めて来朝し、基督教の宣教師として同廿六年まで二十一年間日本に在留し、主として中国及び京阪方面で伝道して居つたが、監獄改良の事にも尽力し、又久しく京都の同志社病院長を勤め、日本に於ける最初の完備した看護婦養成所とも目せらるべき同志社看護婦学校なぞをも起し、本邦の救護事業には少なからぬ貢献をしてくれた人で、朝鮮銀行の総裁であつた故市原盛宏氏なぞとも頗る親しい間柄であつたとの事だ。当時私は同氏と相見る機会を得なかつたが、今回の来朝を機とし、去る二月二十八日(大正七年)中央慈善協会は同氏を帝国ホテルに招待して歓迎会を開いたので、其の時私は初めて同氏と会談する機会を得たのである。それから二日後の三月二日、同氏は基督教美以派の監督ハリス博士に同道して、私を態〻兜町の事務所に訪問してくれたが、同氏は日本語を操るに頗る巧みで、ハリス博士は又当日所要があるからとて中座されたりなんかしたので旁〻長時間に亘り、私は緩る緩る同氏と腹蔵なく雑談し得られたのである。その際私がベリー氏に尋ねた所は斯うであつた。
- デジタル版「実験論語処世談」(38) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.284-290
底本の記事タイトル:二六九 竜門雑誌 第三六四号 大正七年九月 : 実験論語処世談(第卅八回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第364号(竜門社, 1918.09)
初出誌:『実業之世界』第15巻第10,12号(実業之世界社, 1918.05.15,06.15)