3. 矢野時代人物輩出す
やのじだいじんぶつはいしゅつす
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敢て矢野氏の校長時代ばかりに人材が東京高等商業学校へ寄り集つて来たわけでも無いのに、その時代にばかり東京高等商業学校が斯く有為の人材を多く社会へ出す事のできたのは、矢野氏に非凡な独歩の人物鑑識眼があつて、その接する人物を巧に鑑別し、各々その長所に従つて其の処を得せしむるに、根よく骨折つたからだ。如何に有為の人材でも、その長所が伯楽によつて知られて、我が居るべき処を得なければ、迚ても其の技倆を発揮し得られぬものだ。矢野氏が校長時代の東京高等商業学校卒業生が、各自の長所を発揮して今日の日本実業界に雄飛し得らるるのは、矢野氏が伯楽となつて各卒業生の長所に適する安居を与へてやつたからだ。矢野氏は奇行に富んだ人ではあつたが、この点から観察すれば、常識の能く発達した人であつたと謂はねばならぬ。孔夫子が敢て矢野氏の如き奇行があつたといふでも無いのに、物の隠し立てをする人であつたかの如く、弟子等の一部から誤解されたのは、その常識の発達した加減が余りに豪くつて、凡人の眼では之を理解することができなかつたからである。
- デジタル版「実験論語処世談」(41) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.309-315
底本の記事タイトル:二七五 竜門雑誌 第三六七号 大正七年一二月 : 実験論語処世談(第四十一回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第367号(竜門社, 1918.12)
初出誌:『実業之世界』第15巻第19,20号(実業之世界社, 1918.10.01,10.15)