デジタル版「実験論語処世談」(41) / 渋沢栄一

3. 矢野時代人物輩出す

やのじだいじんぶつはいしゅつす

(41)-3

 東京高等商業学校の校長に成つた人は、単に矢野二郎氏一人では無い。矢野氏の前にも矢野氏の後にも、校長に成つた者が可成り多くある。又矢野氏が校長であつた時代にばかり人材が東京高等商業学校へ集つて来たわけでもあるまい。矢野氏以外の人が校長であつた時代にも人材が相応に東京高等商業学校へ入学し、又在学して居つた事と思ふ。然るに日本現時の実業界に活躍し勢力を揮ひつつある東京高等商業学校卒業生を見ると、その大部分は矢野二郎氏が校長時代の卒業生であるから、実に不思議では無いか。浦賀船渠会社の町田豊千代にしても、それから少し変つたところで名古屋市立商業学校長の市邨芳樹にしても、みな矢野氏が校長であつた時代の東京高等商業学校卒業生だ。堀越善重郎は前条にも一寸申して置いた如く、矢野氏の晩年頃に及んで多少不和の間柄となり互ひにスレ合つて旨く行か無くなつてしまつたが、それでも堀越は矢野を悪く言ふまでには成らなかつた。又今日でも堀越は矢野を悪く言ふやうな事は決して致さぬ。ただ、余りに親切が過ぎて干渉が五月蠅くなるので、或る一部から矢野氏は厭がられたのである。
 敢て矢野氏の校長時代ばかりに人材が東京高等商業学校へ寄り集つて来たわけでも無いのに、その時代にばかり東京高等商業学校が斯く有為の人材を多く社会へ出す事のできたのは、矢野氏に非凡な独歩の人物鑑識眼があつて、その接する人物を巧に鑑別し、各々その長所に従つて其の処を得せしむるに、根よく骨折つたからだ。如何に有為の人材でも、その長所が伯楽によつて知られて、我が居るべき処を得なければ、迚ても其の技倆を発揮し得られぬものだ。矢野氏が校長時代の東京高等商業学校卒業生が、各自の長所を発揮して今日の日本実業界に雄飛し得らるるのは、矢野氏が伯楽となつて各卒業生の長所に適する安居を与へてやつたからだ。矢野氏は奇行に富んだ人ではあつたが、この点から観察すれば、常識の能く発達した人であつたと謂はねばならぬ。孔夫子が敢て矢野氏の如き奇行があつたといふでも無いのに、物の隠し立てをする人であつたかの如く、弟子等の一部から誤解されたのは、その常識の発達した加減が余りに豪くつて、凡人の眼では之を理解することができなかつたからである。

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キーワード
矢野二郎, 人物, 輩出
デジタル版「実験論語処世談」(41) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.309-315
底本の記事タイトル:二七五 竜門雑誌 第三六七号 大正七年一二月 : 実験論語処世談(第四十一回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第367号(竜門社, 1918.12)
初出誌:『実業之世界』第15巻第19,20号(実業之世界社, 1918.10.01,10.15)