1. 平凡ゆゑ理解せられず
へいぼんゆえりかいせられず
(41)-1
子曰。二三子以我為隠乎。吾無隠乎爾。吾無行而不与二三子者。是丘也。【述而第七】
(子曰く、二三子我を以て隠すと為す乎。吾れ爾に隠す無し。吾れ行ふとして二三子に与《し》めさざる者無し、是れ丘也。)
孔夫子が常に弟子等を相手にして談り教へられて居つた処は、深遠なる学理にも非ず、又哲理めいた神秘なものでも無く、至極平凡で、有り触れた仁義忠孝礼智信の実践道徳以外に出でなかつたのである。殊に、怪、力、乱、神を談ることなんかは一切避けられたものだから御弟子のうちには何んとなく之に対し物足らぬ如き感じを催し、苟も孔夫子ともあらう一代の師表が、斯んな浅薄な事しか知つて居られぬといふ筈は無い、必ずや猶ほ一層深く稽へて居らるる処もあるだらうが、吾々を未熟者と思召され、之に高尚な教を説いて聴かしても何れ程も解るもので無いからとの見地より、斯くは平凡至極の実践道徳にのみ就て教を垂れられ、深遠なる学理や複雑なる哲理は之を深く胸底に蔵して神秘のものとし、吾々へは御聴かせなさらぬのであらうとの意見を持つ者を生ずるに至り、それが孔夫子の耳にも入つたので、孔夫子も遂に茲に掲げた章句にある如き語を発せらるるに至つたものらしく思はれる。(子曰く、二三子我を以て隠すと為す乎。吾れ爾に隠す無し。吾れ行ふとして二三子に与《し》めさざる者無し、是れ丘也。)
然し孔夫子が自ら「吾れ行ふとして二三子に与めさざる者無し、是れ丘なり」と言明せられて居る通り、孔夫子日常の御言行には、露些も隠すとか神秘的にして置くとかいふこと無く、その平素が是れ孔夫子の全体であつたのである。孔夫子の言行は余りに平凡であつたから却て弟子等に諒解せられなかつたのだ。西洋の学者だとか称せらるるものの中には、之を平易に説きさへすれば解り切つてるやうな事理を強ひて廻りくどく難かしい理窟にして説き教へ、それで得意になつてる者も大分あるらしいが、孔夫子は決して爾んな詐術めいた真似をせられず、平易な事は、誰でも解るやうに平易に説いて聴かせられたのだ。然し、それでは何となく難有味に乏しい如き気がせらるる処あり弟子達の二三子の中に斯く不平を漏らす者を出したのであらう。
余り現代放れのした人間臭く無い哲理とか何とかいふものは、誰が聞いても直ぐ解るといふもので無いが、同時に又余りに平凡な言行も平凡過ぎて却て一般世間から諒解せられぬやうになる恐れのあるものだ。況んや孔夫子の言行たるや、常に円満なる常識を基礎とし、放漫なやうな所があるかと思へば引締つた所があり、引締つてるかと思へば放漫のやうな所もあるといふ具合だから、一寸凡俗の眼には諒解に苦む如き点が無いでも無い。
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- 【述而第七】 子曰、二三子、以我為隠乎。吾無隠乎爾。吾無行而不与二三子者。是丘也。
- デジタル版「実験論語処世談」(41) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.309-315
底本の記事タイトル:二七五 竜門雑誌 第三六七号 大正七年一二月 : 実験論語処世談(第四十一回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第367号(竜門社, 1918.12)
初出誌:『実業之世界』第15巻第19,20号(実業之世界社, 1918.10.01,10.15)