デジタル版「実験論語処世談」(41) / 渋沢栄一

4. 頼山陽は兼ねし乎

らいさんようはかねしか

(41)-4

子以四教。文行忠信。【述而第七】
(子、四を以て教ふ。文、行、忠、信。)
 茲に掲げた章句は、孔夫子が常に弟子等に向つて説いて居られた教育の大綱を示したもので、孔夫子の教育主義が空論空理に流れず、実行を重んずると共に実行の動機となる精神に於ても亦重きを置き、同時に是等を飾る文事をも決して疎かにしなかつたことを説明するものである。茲に謂ふ「文」は、雍也篇の「質、文に勝てば則ち野。文質に勝てば則ち史。文質彬々、然して後に君子なり」の語中にある「文」の字と其意義が同じで、人生の修飾たる礼儀作法文雅の嗜みなどを指したものであらうと思ふのだ。ところが、古今東西を問はず、この文行忠信の四つを兼ね備へた人は、却〻少ないもので、現在に於ては勿論、歴史上の人物中にすら余り爾う多くあるものでは無い。そのうちの一つか二つを持つてる人はいくらもある。然し、四つをみな兼備したといふ人は滅多に無いのである。
 文雅の嗜みといふものは、妙に人品を高尚にする力のあるもので、朝から晩まで帳場へ坐り込み、算盤を手から離さぬやうな人でも、それが俳句の一つも詠める人だとなれば、何処かに品の好い高尚なところがほの見えるものである。文の素養の無い人は同じく金儲けをするにも野卑なところを顕すが、文の素養のある人は同じ金を儲けるにも品を好くして儲けるものだ。世間には頼山陽を、文、行、忠、信の四つを兼ねた人であつたかの如くに観て居る者もあるらしいが、什麽も山陽は爾んな人で無いらしい。山陽には勿論才があり、又文もあつたに相違無く、忠信の精神なんかも具へてたらうが、行といふ点になると些か怪しいものだ。
 山陽は幼少の頃より至つて病身で、為に肺病で死んだとさへ伝へらるるほどだが、病身であつた丈け其れ丈け母からは非常に大切にされたもので、江戸に勤番中の父春水の許へ芸州にある母が送つた手紙のうちにも、山陽が病身なのに困つてる次第やら、健康を丈夫にさせたい趣旨から、山陽の幼名を「久太郎」と改めた理由なんかまでも詳しく書いて報告したのがある。山陽も之れほど母の世話に成つて居りながら、充分母へ孝行を尽したか什麽かは稍〻疑問だ。父の春水が歿してからは随分よく孝行を尽しもしたらしいが、父の存生中は、余り母を大切にしなかつたやうに想はれぬでも無い。この点から観れば山陽も行に於ては欠くるところがあつたと謂へる。決して文行忠信の四つが揃つてた人では無いのだ。

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デジタル版「実験論語処世談」(41) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.309-315
底本の記事タイトル:二七五 竜門雑誌 第三六七号 大正七年一二月 : 実験論語処世談(第四十一回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第367号(竜門社, 1918.12)
初出誌:『実業之世界』第15巻第19,20号(実業之世界社, 1918.10.01,10.15)