7. 三井と三菱とは恒あり
みついとみつびしとはつねあり
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日本の富豪連も近来は大分這裡の消息に通じて来て、無茶な馬鹿金銭を使はぬやうになり、又何んでも金銭になりさへする事ならばやると言つたやうな調子で無く成つたのは、私の甚だ悦ばしく感ずる処である。然し私は近年急に偉い富豪に成つた某家の富を増す法は、余り方法を択ま無過ぎるでは無からうかと思ふ。あれほどまでに品を悪くして富を作る必要が何処にあるのだらう? 私は某家の如き商売の方針には到底賛成ができぬのだ。某家の商売の方針が斯く恒の道を離れた野卑なものになるのは、主要なる当事者に文事の素養が無いからだらう。如何に手腕があり、又才のある人でも、文事の素養無く学問に乏しい人は、その為す処が野卑に流れ易く、金儲けなんかも兎角品が悪く成り勝のものだ。幸ひにも三井、三菱両家の当局者にはみな相応に学問があり、文事の心得もある相当の人物が据つてるので、よしや先年の海軍事件のやうなことが三井物産にあつたにしても、大体の上から観れば両家とも余り性質の悪い金儲けをせず、チヤンとした筋の立つた道を履んで営業して行くのを方針にして居るから、私はこの点に於て頗る愉快を感ずるのである。
- デジタル版「実験論語処世談」(41) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.309-315
底本の記事タイトル:二七五 竜門雑誌 第三六七号 大正七年一二月 : 実験論語処世談(第四十一回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第367号(竜門社, 1918.12)
初出誌:『実業之世界』第15巻第19,20号(実業之世界社, 1918.10.01,10.15)