デジタル版「実験論語処世談」[51a](補遺) / 渋沢栄一

2. 衆智を挙用するの徳

しゅうちをきょようするのとく

[51a]-2

子曰。巍巍乎舜禹之有天下也。而不与焉。【泰伯第八】
(子曰く。巍巍たり。舜禹の天下を有つや。而るに与らず)
 之れは舜禹の徳を褒め称へたものであつて、巍巍乎とは其の功業の大なる事を山の高きに譬へ、而して其の治め方は衆賢人を挙げ用ひ、各々之に位を授けて政治を行はしめ、己れは上に立つのみにして親ら政事に与らざる如くであつた。之れ舜禹の天下の能く治つた所以であると称賛されたのである。世の中には剛腹自用、人の才能を用ひずして何事も自己の才能を揮ふ人があるが、之れは必ずしも悪るいといふ事は出来ぬけれども、人間は万能でないから如何に才智の優れた人でも完きを期し得られない。而して多数の人の能い智慧、即ち衆智を能く用ふるに於て大なる効果があるのである。
 舜禹の二聖人は共に匹夫より身を起した人であるが、衆智人を集めて能く挙げ用ひ、所謂適材を適所に置いて充分其の才能を発揮せしめし為め天下が能く治つたのであつて、孔子も其の徳を山の高きに譬へて巍巍乎たりと称讃したのである。『然るに与からず』とは全然関せざるに非ずして、与らざるが如しといふ意味である。
 之れは国情を異にする支那の例であるから、我が国に比較するのは少し難かしいが、明治大帝の治め方は、実に此の好適例であると申上げても宜しからうと拝察する。先帝は明治維新に於て三条、岩倉或は西郷、大久保、木戸等の俊傑を挙げ用ひ、憲法制定には伊藤博文を起用し、其他衆智を能く併せ用ひられて今日の盛運を来すに至つた。恰かも『巍巍乎舜禹之有天下也。而不与焉』に適合して居るではないか。斯くの如きは先帝時代に人物の出たのも仕合せの事ではあるが、要するに明治大帝の偉徳の然らしむる処と謂ふ可きであつて、誠に同慶の至りと申さねばならぬ。

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デジタル版「実験論語処世談」[51a](補遺) / 渋沢栄一
底本(初出誌):『実業之世界』第17巻第5号(実業之世界社, 1920.05)p.43-46
底本の記事タイトル:実験論語処世談 (第九十回) 明治大帝の懿徳 / 男爵渋沢栄一