デジタル版「実験論語処世談」[51a](補遺) / 渋沢栄一

3. 明治大帝の至徳を頌す

めいじたいていのしとくをしょうす

[51a]-3

子曰。大哉尭之為君也。巍巍乎。唯天為大。唯尭則之。蕩蕩乎民無能名焉。巍巍乎其有成功也。煥乎其有文章。【泰伯第八】
(子曰く。大なる哉尭の君たるや。巍巍乎たり。唯天のみ大なりとす。唯尭之に則る。蕩蕩乎たり民能く名くる事無し。巍巍乎として其れ成功有り。煥乎として其れ文章有るなり)
 此の章は尭の徳を言ふたものであつて「蕩々」とは広遠といふ意味「文章」とは礼学法度の事である。章の意味は二つに分れて居る。即ち「無能名」まで一節であつて尭の徳の高大広遠にして他に比す可きものなく、唯天の大なるに比し得るのみであると讃め、以下其の万民を化育し安寧平和ならしめ其の礼学法度の整ひたる事を称賛したものである。
 此の称賛の言葉は恰かも明治大帝の徳を頌する為めに書かれたものと言ふても差支えないと思ふ。明治大帝の君臨せられて五十年、其の間の政治は全く此の文章通りであつた。先帝当時に比し決して今の政治が劣つてゐるといふ訳ではないが、果して今の天下も同じ様な赤誠の功臣が連なつて居るかどうか疑はしい。若し万一後戻りする様な事があると仮定すれば、夫れは君徳の足らざるに非ずして、群臣の悪るいのである。されば衆心一致して努力し、弥々益々国運の発展に尽し、決して現状に甘んじ気を緩めてはならない。

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デジタル版「実験論語処世談」[51a](補遺) / 渋沢栄一
底本(初出誌):『実業之世界』第17巻第5号(実業之世界社, 1920.05)p.43-46
底本の記事タイトル:実験論語処世談 (第九十回) 明治大帝の懿徳 / 男爵渋沢栄一