デジタル版「実験論語処世談」[52b](補遺) / 渋沢栄一

3. 孔子の孔子たる所以

こうしのこうしたるゆえん

[52b]-3

 孔子には弟子三千と称せられ、其の六芸に通ずる者七十二人の多きに達したと伝へられて居るが、中にも孔子の十哲と謂はれて殊に優れた門弟が十人あつた。此の十哲は夫々特長を有し、閔子騫、冉伯牛、仲弓は徳行に勝れ、宰我、子貢は言語に秀で、冉有、子路は政治に、子游、子夏は文学に各一頭地を抜いて居つたが、顔淵は最も徳行勝れ、孔門の第一人者として孔子の最も信任を得た人である。四十に達せずして夫子に先立つて死なれたが、其際孔子が、『噫、天予を喪せり、天予を喪せり』と嘆じ、『子之を哭して慟ず』と論語に在るが如く、非常に之を惜しまれた。顔淵は夫程徳行の高い人であつたが、而かも尚遠く夫子に及ばざる事を感歎したのである。
 一体孔子は、後世に到つて道徳といふ事だけを以て聖人とされてゐるが、身の行ひの正しく、事に当つて其の説を言ひ判断を下すに道理に叶ふて居られた事は言ふ迄もないが、喜、怒、哀、楽、愛、悪、慾の七情の発動が最も自然的で、之を砕いて言へば最も平凡な聖人であつた。が、夫れ計りでなく夫子は六芸に通じ、当時の古典を渉猟し識博く学深く、詩書礼楽の外に当時に於ける天文学、化学及び技術的の事にも通暁せられて居つた。孔子が直接筆を執られた『春秋』の如きは其の文章の適切にして深淵なるを見る可きである。又楽に通じ楽の善悪に就て批評された事もある。
 要するに孔子は、国を治め、人民をして安からしむるの大学問のならず、凡ての微細の事にも通じて居られた。殊に卑近の処に例を採つて解釈されたのは、孔子の孔子たる所以であつて、聖人たるの人格が茲に発露して居る。

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デジタル版「実験論語処世談」[52b](補遺) / 渋沢栄一
底本(初出誌):『実業之世界』第18巻第1号(実業之世界社, 1921.01)p.44-49
底本の記事タイトル:実験論語処世談 第九十三回 現代人の最大欠陥 / 子爵渋沢栄一