デジタル版「実験論語処世談」[52b](補遺) / 渋沢栄一

5. 何事も程度を超えざれ

なんどもていどをこえざれ

[52b]-5

子疾。病。子路使門人為臣。病間曰。久矣哉。由之行詐也。無臣而為有臣。吾誰欺。欺天乎。且予与其死於臣之手也。無寧死於二三子之手乎。且予縦不得大葬。予死於道路乎。【子罕第九】
(子疾む。病なり。子路門人をして臣と為らしむ。病の間に曰く。久しい哉。由の詐を行ふや。臣無く而るに臣有りと為す。吾れ誰をか欺かん。天を欺かん乎。且つ予れ其の臣の手に死せんよりは。無寧ろ二三子の手に死せん乎。且つ予れ縦ひ大葬を得ざるも。予は道路に死せん乎。)
 子路は孔門の十哲の一人であるが、其の性質卒直にして悪く言へば早合点の人であつたらしい。曾て孔子が其の道の行はれざるを慨して『道行はれず、桴に乗りて海に浮ばん、我に従はん者は其れ由か』と言はれたときに、子路之を聞いて喜んだ。然るに孔子は更に『由や勇を好むこと我に過ぎたり』と戒められた事がある。詰り子路は、義を見て勇む態の人であつたが、孔子を敬し、孔子を思ふ余り、往々にして道理に合はぬ様な事をして、後に孔子に戒められて居る。
 此の章句は簡単に言へば子路の詐を行ふを戒められたのであるが、孔子の病の甚だしかつた時、子路が主唱して、諸門弟をして孔子の家臣とならしめた。之れは孔子が曩きに魯の司冠となつて家臣があつたけれども、退官後は家臣がなかつたので、万一孔子が死去せられては其の葬りが庶人と等しいので、師を思ふの余り斯くしたのである。処が後に到つて孔子の病の少しく癒えし時、此の事を聞き、子路を戒められて、家来がないのを、今更家来を作つて見た処で、誰を欺ふとするのか。私に家来のない事は衆人の知る処であるから人を欺く事は出来ない。されば天を欺ふとするのか。人として天を欺くは大罪であると深く之を責め、且私は詐りの臣の手に死なんよりは寧ろ門人の手に死なん事を望むものであつて、縦令君臣の礼を以てする大葬を受くる事は出来ぬとしても、二三の門弟子が在れば、道路に放棄して葬られぬ様な事はあるまいと言はれたのである。

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デジタル版「実験論語処世談」[52b](補遺) / 渋沢栄一
底本(初出誌):『実業之世界』第18巻第1号(実業之世界社, 1921.01)p.44-49
底本の記事タイトル:実験論語処世談 第九十三回 現代人の最大欠陥 / 子爵渋沢栄一