デジタル版「実験論語処世談」[52b](補遺) / 渋沢栄一
1. 人に接するに誠意を以てせよ
ひとにせっするにせいいをもってせよ
[52b]-1
子見斉衰者冕衣裳者与瞽者。見之雖少必作。過之必趨。【子罕第九】
(子斉衰の者と冕衣裳の者と瞽者を見るとき。之を見れば少しと雖も必ず作つ。之を過れば必ず趨る。)
此の章は孔子が人に接するの誠敬なるを記したものであるが、元来支那の周の時代には礼法を非常に喧しく言ふたものであつた。而して其の礼といふ事も非常に広い意味であつて、天下国家を治むる法度制令より、個人としての常住坐臥に到る迄悉く之を包含して居り、今日一般に言ふ処の行儀作法とは違つて居ります。孔子が曾て顔淵の仁を問ふたに答へて、『己に克て礼を復むを仁と為す。一日己に克て礼を復めば、天下仁に帰す』と謂はれた程、夫れ程礼法といふものを重んぜられたのである。孔子の時代は非常に殺伐な時代であつたが、夫れでも礼と楽とを以て、政治の一要件とされて居つた様である。孔子が特に之を唱導された事は言ふ迄もない。(子斉衰の者と冕衣裳の者と瞽者を見るとき。之を見れば少しと雖も必ず作つ。之を過れば必ず趨る。)
此章を簡単に講義すれば、孔子は坐して居らるゝ時、喪服を着た人(斉衰者)貴人の礼装したる人(冕衣裳者)及び眼の見えぬ人(瞽者)を見らるゝ時は、其の人の年齢が孔子よりも若い人であつても、必ず起つて之を敬し、又孔子が其の人々の前を通行する時は、必ず趨行せらるゝを常とされたといふ意味である。蓋し喪ある人を哀しみ、爵位ある人を尊み、不具の人を愍むの誠心が、期せずして孔子の行ひに顕はれたのであつて、是れ聖人の心である。尚ほ単に瞽者とあるけれども、之れは眼の見えぬ者で相当の官職を有して居つた人を指したものであらうか。
此の時代と現代とは、総てに於て著しい相違がありますから、之を移して直ちに現代に当篏めることは無理であるかも知れないが、現代の如く挙世利に奔り、人情紙よりも薄すく、道徳地を払はんとするに到れるは誠に寒心に堪えざる次第であつて、資本家と労働者の紛争の如きも両者共に誠意の欠けてゐるのも一原因であると推察する。されば少くも喪ある人を哀しみ、爵位ある人を尊み、不具の人を愍むといふ孔子の如き誠意があつたならば、恐らく頻々と起る紛争を見ずして、円満に解決の途を求むる事が出来るだらうと思ふ。
- デジタル版「実験論語処世談」[52b](補遺) / 渋沢栄一
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底本(初出誌):『実業之世界』第18巻第1号(実業之世界社, 1921.01)p.44-49
底本の記事タイトル:実験論語処世談 第九十三回 現代人の最大欠陥 / 子爵渋沢栄一