デジタル版「実験論語処世談」[52a](補遺) / 渋沢栄一

8. [コラム] 渋沢子爵談片

しぶさわししゃくだんぺん

[52a]-8

 ▽誰であつたか、孔子、孟子、釈迦の気質を三杯酢を食つた際に譬へて、孔子は、有りの儘に酸つぱい顔をし、孟子は苦い顔をし、釈迦は甘さうな顔をするといつたと覚えてゐるが、確かに穿ち得た言であると思ふ。孔子は仁を以て本とされたが、七情の発動が自然に叶ふて、其間に少しの虚偽がない。実に天真爛熳である。
 ▽私は後進に説くに常に孔子の訓へを以てする。人情日々に軽薄となり、我利的、唯物的に傾いて来た今日、私は一層孔子の訓への尊さと其の普及の必要とを痛切に覚える。然るに世間には往々孔子の訓へを時代遅れとなし、之を非難される人もあるが、若し道徳が全く地を払ふに至つた際の社会を想像すれば、私は其所に物質万能化したる忌むべき幻影を観る。
 ▽論語は、活きた学問である。処世の羅針盤である。論語の精神を体得して世に処するならば、如何なる方面に携はるも立派な人格として信頼さる可く、又自ら顧みて何等の精神的不安なきを得るであらう。私は深く之を信ずるが故に、旧思想なりと嗤ふ人もあるが、論語を座右の宝典として居る次第である。

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渋沢栄一, 談片
デジタル版「実験論語処世談」[52a](補遺) / 渋沢栄一
底本(初出誌):『実業之世界』第17巻第12号(実業之世界社, 1920.12)p.98-101
底本の記事タイトル:第九十二回実験論語処世談 / 子爵渋沢栄一
*「渋沢子爵談片」はp.101に別枠のコラムとして掲載されたもの。