デジタル版「実験論語処世談」[52a](補遺) / 渋沢栄一
1. 盛徳と多能とは全く異る
せいとくとたのうとはまったくことなる
[52a]-1
大宰問於子貢曰。夫子聖者与。何其多能也。子貢曰。固天縦之将聖。又多能也。子聞之曰。大宰知我乎。吾少也賤。故多能鄙事。君子多乎哉。不多也。牢曰。子云。吾不試故芸。【子罕第九】
(大宰子貢に問ふて曰く。夫子は聖者か、何ぞ其れ多能なるやと。子貢曰く。固より天之を縦して将に聖ならん、又多能也と。子之を聞て曰く。大宰は我を知る乎。吾れ少きや賤し。故に鄙事に多能なり。君子多ならん乎、多ならざるなりと。牢曰く。子云ふ。吾れ試みられず故に芸なりと。)
此の章は処世訓としてお話するには、今の時代に当てはめる事は或は適当でないかも知れないが要するに聖徳と多能とは全然別であると云ふ事を説いたものである。子貢は孔子の十哲の一人で、其の家が富裕であつたから、孔子の生前には之を扶けて家計を補ひ、孔子の歿するや、六年間も孔子の廟に籠つて懇ろに弔ふた程の人であるが、大宰は恐らく子貢の弟子でゞもあつたらうか。(大宰子貢に問ふて曰く。夫子は聖者か、何ぞ其れ多能なるやと。子貢曰く。固より天之を縦して将に聖ならん、又多能也と。子之を聞て曰く。大宰は我を知る乎。吾れ少きや賤し。故に鄙事に多能なり。君子多ならん乎、多ならざるなりと。牢曰く。子云ふ。吾れ試みられず故に芸なりと。)
此の大宰といふのは官名で大夫の職である。人の名ではない。其の当時大宰の官に在る人、子貢に問ふて曰ふに、孔子は何事にても知らざる事なく、何事にても能くせざる事がない。斯く多能であるから聖人と謂ふ可き人であらうかと聞いた。蓋し大宰は多能なるを以て聖なりと考へ、又孔子の盛徳を知らずして只其の多能なるを見て聖人であるかと問ふたのである。子貢之に答へて言ふに、我が夫子は固と天より無限の才徳を与へられた人であるから殆んど聖人であらう。たゞ聖人である計りでなく又多能なる人であると、大宰の徳と多能とを混交せる問に対し、徳と多能とは別であると之を区別して答へたのである。
- デジタル版「実験論語処世談」[52a](補遺) / 渋沢栄一
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底本(初出誌):『実業之世界』第17巻第12号(実業之世界社, 1920.12)p.98-101
底本の記事タイトル:第九十二回実験論語処世談 / 子爵渋沢栄一
*「渋沢子爵談片」はp.101に別枠のコラムとして掲載されたもの。