デジタル版「実験論語処世談」[52a](補遺) / 渋沢栄一

4. 貧富貴賤の差別なし

ひんぷきせんのさべつなし

[52a]-4

子曰。吾有知乎哉。無知也。有鄙夫。問於我。空空如也。我叩其両端。而竭焉。【子罕第九】
(子曰く、吾れ知ること有ん乎。知ること無き也。鄙夫有り。我に問ふ。空空如たり。我れ其の両端を叩き。而して竭す。)
 此の章は孔子が人を教ふるに懇切にして、決して倦まないといふ事を書いたのであつて、当時の人が孔子の知らざる所なく、誨へて倦まざるを称する者があつたので自問自答して曰ふ。自分は果して知識多い者であるか、自ら省るに、自分は実に知識が無い。たゞ人を誨ふるに於ては必ず之れを懇切にして、つまらぬ人が来て、つまらぬ事を問ふことがある場合に於ても、其の問ふ処の事物につき、其の始終本末を説き、逐一説明して尽さゞる所がないと。
 之れ即ち孔子の徳の高い処、人格の高い処であつて、孔子の眼中には実に貧富貴賤の差別がなく、如何なる賤しい人に対しても所謂一視同仁に接し、其の問ふ処の愚にもつかぬ事であつても、或は之を積極的に或は之れを消極的に説かれて少しも倦むことがなかつたのである。空空は悾悾に等しく無知の貌をいふもので、両端とは事物の始終本末を謂ふのである。

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デジタル版「実験論語処世談」[52a](補遺) / 渋沢栄一
底本(初出誌):『実業之世界』第17巻第12号(実業之世界社, 1920.12)p.98-101
底本の記事タイトル:第九十二回実験論語処世談 / 子爵渋沢栄一
*「渋沢子爵談片」はp.101に別枠のコラムとして掲載されたもの。