デジタル版「実験論語処世談」[52a](補遺) / 渋沢栄一

2. 孔子は聖人にして多能の人

こうしはせいじんにしてたのうのひと

[52a]-2

 後日に至つて孔子が此の話を聞いて、彼の大宰は能く我を知れる者であらうか。吾の年小き時は卑賤の身分であったから微細の事に習ふて之に多能なる事を得たのである。されば大宰の我を多能なりと称するのは能く当つて居る。併しながら、君子は必ず多能なるべき者であるかといへば、君子は徳あるを以て貴しとし、多能を以て君子とは為さぬのであると語られたのである。前句子貢の答へて「殆ど聖ならん」と言へるは、謙遜して敢て臆断しなかつたのであるが、孔子も亦自ら謙して、身分が低かつた為めに微細の事に通じたのであると言ひ、且つ大宰の認めて聖となすの誤りを正されたのである。
 牢曰く以下は、孔子の門弟子牢が、曾て親しく孔子より聞ける所を記したものであつて、孔子が、「吾は時君に用ひられざるが故に多く技芸を習ふて之に通じて居るのである」と曰はれたのを此に記したのである。孔子は実に天下国家を治むる程の聖人であつた。而かも王道は言ふも更なり。文学、法度、音楽、歴史其他何事にも能く通暁して居つた。孔子の如きは今の世に得難い聖人にして而かも多様なる人であつたが、自らは頗る謙遜して常に斯くの如き態度であつたのは後人の大に学ぶ可き点である。

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デジタル版「実験論語処世談」[52a](補遺) / 渋沢栄一
底本(初出誌):『実業之世界』第17巻第12号(実業之世界社, 1920.12)p.98-101
底本の記事タイトル:第九十二回実験論語処世談 / 子爵渋沢栄一
*「渋沢子爵談片」はp.101に別枠のコラムとして掲載されたもの。