デジタル版「実験論語処世談」[52a](補遺) / 渋沢栄一

5. 多数の訪客に接するは人間の義務

たすうのほうきゃくにせっするはにんげんのぎむ

[52a]-5

 自分自身の事を申すのは或は自慢らしく聞えるかも知れませぬが、私は常に孔子の此の心を以て人に接し事に臨んで居るのである。私は此の老齢であるけれども、毎朝、少くも十人位の訪問客の来ぬ日とてはない。而して或は望まれ、或は問はれ、或は依頼され、其の要件は雑多であるが、私は遅くも朝六時半には起きて入浴し、書信に一通り眼を通し七時半に食事が終る。其の食事前から訪客が待つて居るので、直ちに御面会するのであるが、其の訪問客の内には予め電話を掛けて打合せの上見えられる方もあるけれども、突然尋ねらるる人もあるし、始めて御会ひする人も多く、時には新聞雑誌記者が意見を聞きに来る。
 斯ういふ風なので、其の要件も各種各様に亘り、中には事業についての意見を問ふ人もあるし、寄附金の勧誘もあり、海外に赴くに就ての紹介や斡旋、就職の依頼等を始めとして遽かに数へ切れないが、私を利用しようとして訪問さるゝ人も尠くない。加ふるに其の日に依つては訪客の半数位は全然未知未見の人である事も往々あるが、従て面会して見ると所謂空空如たるものもある。併し私は如何なる人に対しても時間の許す限り面会をして居り、又其の要件については成る可く解決を与へてやる方針を採つて居る。
 要件が一様でないから、中には即答の出来ぬものもあるし、又訪問者の意志を満足せしむる事の出来ぬ様な場合もあるけれども、私自身としては、先づ自分の良心に問ふて判断をするを常とし、忠恕、親切及び自分の主義に照して欠くる処なく違ふ事なきを期してゐる。されば此の判断に従つて私の意見を述べ、若し先方に間違ひがあれば之を正し、一時は私が賛成せぬ為め、不足を言ふ人があつても、其の人の将来の為め、之に大にしては社会人類の為めに、自分の信ずる処を卒直に陳べて、誤りなからしめようとしてゐるが、私は之れを人間の当然の務めとして実行して居るのである。たゞ斯くの如く訪客に面会する事が多い為めに、時には多少約束の時間に遅れる様なこともあるのは誠に申訳がないと思つてゐる次第である。

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キーワード
多数, 訪客, , 接する, 人間, 義務
デジタル版「実験論語処世談」[52a](補遺) / 渋沢栄一
底本(初出誌):『実業之世界』第17巻第12号(実業之世界社, 1920.12)p.98-101
底本の記事タイトル:第九十二回実験論語処世談 / 子爵渋沢栄一
*「渋沢子爵談片」はp.101に別枠のコラムとして掲載されたもの。