デジタル版「実験論語処世談」[52a](補遺) / 渋沢栄一

6. 我が戦国時代と春秋の時代

わがせんごくじだいとしゅんじゅうのじだい

[52a]-6

子曰。鳳鳥不至。河不出図。吾已矣夫。【子罕第九】
(子曰く。鳳鳥至らず。河図を出さず。吾れ已むぬるかな。)
 鳳は霊鳥であつて、舜の時に来儀し、文王の時岐山に鳴いたと古書に見える。河図落書が自然に出たといふ古事は聖代の瑞祥と称さるゝ処のものである[。]此の頃は恰かも春秋の時代であつて、諸侯が各地に割拠して専制至らざるなく、聖王賢君現はれずして政治が廃れ、道徳衰へて地を払ふに至りしを以て、孔子歎じて曰く。「鳳は霊鳥にして聖人位に在れば来りて鳴き、又河より図を出すと聞く。然るに今は鳳鳥も来らず河図を出だすことも無ければ、聖王のない事を知る可きである。上に聖王なければ能く我が道を用ふるものがない、嗚呼道は竟に行はれざるか。」と。蓋し政道が頽れ、自己主義の人計り多くなりて、孔子の道の広く世に行はれざる有様を見て、吾已矣夫と嘆息の声を発せられたのである。
 孔子は六十八歳にして天下を治むる事に就て考へる事を断念し、専ら教育に向つて力を注ぐ様になつたのであるが、此の章は恐らく孔子六十八歳以後の事なるべく、一説には孔子自らが帝王たるを得ざるを嘆ずと説く者あるも、夫れは誤りにしてたゞ明王の興らずして、孔子の道の行はれざるを嘆じたのである事は、前に述ぶるが如くである。

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デジタル版「実験論語処世談」[52a](補遺) / 渋沢栄一
底本(初出誌):『実業之世界』第17巻第12号(実業之世界社, 1920.12)p.98-101
底本の記事タイトル:第九十二回実験論語処世談 / 子爵渋沢栄一
*「渋沢子爵談片」はp.101に別枠のコラムとして掲載されたもの。