デジタル版「実験論語処世談」(52) / 渋沢栄一

8. 死生の巷に出入せし予の経験

しせいのちまたにでいりせしよのけいけん

(52)-8

 自分の事を述べるのも聊か烏滸がましいが、八十年の生涯の間には自ら死なうと思うた事もあるし、二十四五の頃から屡〻死生の間にも出入した。其の一橋家に奉公時代、明治政府に仕へて居つた時代を通じ身の危険を感じた事は一度や二度ではなかつた。確か明治二十五年頃であつたかと思ふが、刀を以て馬車に斬り付けられた事もあつた。斯る際に於て、到底孔子の如き自負心はなかつたが、一つの諦めの心は持つて居た。自分は此の諦めの心を以て死生の間に在りても敢て動ずる事がなかつた。
 即ち斯かる際に於て、若し此の身に危害を蒙る事があるとすれば、夫れは我が身の徳の足りないのであつて、死するも亦止むを得ない。是れ天なり命なりである。若し又、自分に悪い処がないならば、霊妙なる働きに依つて救うて呉れるであらうと信じて居つた。此の信念があつたればこそ、自分は如何なる場合にも戦々兢々たる観念を抱くことなくして所信を行ふ事が出来たのである。私は決して自分を偉いものとして是を述べるのではない。只だ実際の経験を御話して諸君の参考に供しようと思ふに過ぎないのであるから、其の点を誤解されない様に特に附言して置く。

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キーワード
死生, , 渋沢栄一, 経験
デジタル版「実験論語処世談」(52) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.405-409
底本の記事タイトル:三〇九 竜門雑誌 第三八九号 大正九年一〇月 : 実験論語処世談(五十一《(二)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第389号(竜門社, 1920.10)
初出誌:『実業之世界』第17巻第10号(実業之世界社, 1920.10)