デジタル版「実験論語処世談」(52) / 渋沢栄一

3. 天命を無視せる独帝

てんめいをむしせるどくてい

(52)-3

 命は曩にも述べし如く天命であつて、必ず無視する事は出来ぬものであるけれども、何事も天命を頼りとして自らは何等の為す処なきは所謂棚から牡丹餅の落ちて来るのを待つと等しく、愚の骨頂であつて大に戒めなければならぬ事である。要するに「人事を尽して天命を俟つ」の心懸けを以て、常に刻苦勉励し、自ら其の天地を開拓すべきものであつて、棚牡丹的に天命に依頼するに於ては、世の進歩も発達もなく、自己一身としては遂に社会の落伍者たるを免れぬであらう。乍併全然天命を無視する時は破滅の基となる。
 適当の引例でないかも知れぬが、独帝カイゼルは、勢ひに乗じて天命を無視し、中欧に独逸大帝国の建設を夢みて非望を遂げんとし、世界の大動乱を惹起するに至つたが、マンマと失敗に帰し、身は縲紲の憂目を見るに至つた。畢竟、天命なるものは、人間の知識才能のみによるものに非ずして、実に霊妙なる差配があると思ふ。此の微妙なる霊的感念の働きが即ち天命である。但し天命のみに依頼して万事を解決せんとするは、知識を養ひ職務に勉励する事が自然におろそかになるを以て、人事を尽して天命を俟つの心を失はずして世に処すべきである。

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デジタル版「実験論語処世談」(52) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.405-409
底本の記事タイトル:三〇九 竜門雑誌 第三八九号 大正九年一〇月 : 実験論語処世談(五十一《(二)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第389号(竜門社, 1920.10)
初出誌:『実業之世界』第17巻第10号(実業之世界社, 1920.10)