デジタル版「実験論語処世談」(52) / 渋沢栄一

6. 偉大なる人格の発露

いだいなるじんかくのはつろ

(52)-6

子畏於匡。曰。文王既歿。文不在茲乎。天之将喪斯文也。後死者不得与於斯文也。天之未喪斯文也。匡人其如予何。【子罕第九】
(子、匡に畏る。曰く。文王既に歿す、文茲に在らずや。天の将に斯文を喪さんとするや、後れて死する者、斯文に与ることを得ず。天の未だ斯文を喪さざるや、匡人、其れ予を如何せん。)
 此の章句の意は、孔子難に当りて天命に安んじ、自ら慰め又弟子を安んぜられたのを言うたのであつて、孔子は曾て匡を過ぎられしに、匡人は陽虎と誤りて兵を以て孔子を囲み、之を殺さんとした。随行の門人皆懼れたるに、孔子は従容として曰く、「文王は既に歿せられたけれども、其の道は今猶存して現に此身に伝はつて居る。天若し道を喪ぼして伝へざらしめんとの意であれば、疾くに喪ぼすべくして後死の我は道を聞くに与ることを得ざる筈である。然るに道伝はりて今我身に在るを見れば、天は道を喪ぼさうとするの意がないのである。されば匡人が我を殺さうとしても、天意に違うて居るから、我を如何ともする事能はざるであらう」と。即ち我の生死は一に天命に在り、天命に委せて徒らに懼るること勿れと、門弟子に天命を説かれたのである。
 孔子は非常に謙遜な方であつた。然るに悪く言へば平生の行ひに似ず大言壮語されたやうに思はるるが、其の真意は決して大言壮言に非ずして、孔子が平素から抱かれたる大なる自信の発露と見る可きである。当時、王者の道漸く衰へて春秋の世となり、攻伐を以て事として居つた。斯かる時代に孔子は先王の教へを守り、仁義と道徳とを説き功利万能の世人に向つて盛んに先王の道を宣伝されたのである。而して此の道を天が喪ぼさうとするの意があるならば、既に此の道は頽れて居る可き筈であるのに、今に伝へられて居るのは、天が此の道を喪す意がないのであると断じられたのは、孔子の自信が強かつたのと、道の為に非常に熱心な為であつたと見る事が出来る。

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デジタル版「実験論語処世談」(52) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.405-409
底本の記事タイトル:三〇九 竜門雑誌 第三八九号 大正九年一〇月 : 実験論語処世談(五十一《(二)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第389号(竜門社, 1920.10)
初出誌:『実業之世界』第17巻第10号(実業之世界社, 1920.10)