デジタル版「実験論語処世談」(52) / 渋沢栄一

1. [利と命と仁と]

りとめいとじんと

(52)-1

子罕言。利与命与仁。【子罕第九】
(子罕れに言ふ。利と命と仁と。)
 子罕第九の初めに移りますが、此の章句は至つて簡単である。けれども、然かも此の短い章句の中に味ふ可き幾多の教訓を含んでゐるのである。則ち此の章句は、孔子が自ら深く研究されたこと、又は古人から伝へられて居ること等に就て常に門弟子に教へ、折に触れて種々の訓戒を与へ、或は質問に答へられた際に言はれた事であつて、此の章の精神は実に論語二十篇に亘つて一貫して居るのである。
 此の章の始めに、子罕れに言ふとあるが、利と命と仁とは人間必須の者であるけれども、多く之を言へば却て害あるを以て、之を言ふを慎まれたのである。八十九歳の高齢を以て一昨年歿くなられた三島毅先生は利は義なりと解釈して居るけれども、私は矢張り利と見てよいと思ふ。命は即ち天命の謂である。仁は非常に広い意味が含まれて居るのであつて、且つ孔子の訓への標準をなして居るものであるから、最も重きを置かれてある。人を愛する情が深いとか、其の言ふことが道理に適うて居るとか言ふことも勿論仁には相違ないが、孔子は更に此の仁の意味を種々なる方面に説き及ぼして、天下万民を済ふの広大なる程度にまで説か[れ]てゐる。茲に言ふ所の仁とは、此の広い意味の仁であるのは謂ふ迄もない。

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デジタル版「実験論語処世談」(52) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.405-409
底本の記事タイトル:三〇九 竜門雑誌 第三八九号 大正九年一〇月 : 実験論語処世談(五十一《(二)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第389号(竜門社, 1920.10)
初出誌:『実業之世界』第17巻第10号(実業之世界社, 1920.10)