デジタル版「実験論語処世談」[52b](補遺) / 渋沢栄一
2. 孔子の道徳の妙用
こうしのどうとくのみょうよう
[52b]-2
顔淵喟然歎曰。仰之弥高。鑽之弥堅。瞻之在前。忽焉在後。夫子循循然善誘人。博我以文。約我以礼。欲罷不能。既竭吾才。如有所立卓爾。雖欲従之未[末]由也已。【子罕第九】
(顔淵喟然として歎じて曰く。之を仰げば弥高く。之を鑽れば弥堅し。之を瞻るに前に在り忽焉として後に在り。夫子循循然として善く人を誘ふ。我に博むるに文を以てし。我を約するに礼を以てす。罷んと欲して能はず。既に吾が才を竭せり。立つ所有りて卓爾たるが如し。之に従はんと欲すと雖も由未[末]きのみ。)
此の章句は顔淵が孔子の常住坐臥を見られて、其の道徳の妙用を感歎されたのであつて、顔淵が孔子の門に学んで既に得るあるの後、喟然として感歎の声を発して言ふ。夫子の道徳は之を仰き望めば弥々高くして其の頂上を認め難く、又鑽り鑿たんとすれば弥々堅くして鑿ち入り難い。夫子は啻に高く堅い計りでなく、之を凝視せんとするに、忽ち前に在るかと思へば忽ち後に在るが如くにして、其の道徳妙用は所謂広大無辺である。而かも其の教へは次第順序があつて、善く人を引きて道に入らしめ、我を博むるに詩書礼楽の文を以てして古今の学に通ぜしめ、然る後、我と約するに礼を以てして聞く所知る所を行ふに凡て礼に由らしめられる。(顔淵喟然として歎じて曰く。之を仰げば弥高く。之を鑽れば弥堅し。之を瞻るに前に在り忽焉として後に在り。夫子循循然として善く人を誘ふ。我に博むるに文を以てし。我を約するに礼を以てす。罷んと欲して能はず。既に吾が才を竭せり。立つ所有りて卓爾たるが如し。之に従はんと欲すと雖も由未[末]きのみ。)
斯う謂ふ風であるから知らず識らず夫子の為めに感化せられて、中途で罷めんと欲しても廃すること能はず、日に月に進んで既に吾が心力を尽し、今に於ては夫子の道徳を認め得るに至り、卓然として我が前に屹立せるが如き者を見る。而して之に斉しからんと欲して勗めつゝあるけれども、未だ之を能くし得ないと述べられたのである。
- デジタル版「実験論語処世談」[52b](補遺) / 渋沢栄一
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底本(初出誌):『実業之世界』第18巻第1号(実業之世界社, 1921.01)p.44-49
底本の記事タイトル:実験論語処世談 第九十三回 現代人の最大欠陥 / 子爵渋沢栄一