デジタル版「実験論語処世談」[52b](補遺) / 渋沢栄一

7. 慨しき現代の風潮

なげかわしきげんだいのふうちょう

[52b]-7

子貢曰。有美玉於斯。韞匵而蔵諸。求善賈而沽諸。子曰。沽之哉。沽之哉。我待賈者也。【子罕第九】
(子貢曰く。美玉斯に有り。匵に韞めて諸を蔵さんか。善き賈を求めて諸を沽らんかと。子曰く。之を沽らん哉。之を沽らん哉。我は賈を待つ者なり。)
 子貢が、茲に美しい玉があります。之を匣の中に入れて深く蔵して置くべきでせうか、又は善き価を求めて之を売るべきでせうかと孔子に質問した。之れは孔子が六芸に通じ道徳高いにも拘らず仕官せざるを見て、美玉を以て道に喩へたのであつて、蔵は仕へざるに喩へ、沽は仕ふるに喩へたのである。孔子は之れに答へて、売らんかな、売らんかな、只相当の価を持つものであると言はれた。つまり、仕官して道を行ふことは固より望む所であるけれども、士は礼を待つて出づ可きものであつて、自ら衒ひ、自ら屈して仕ふる事を欲しないといふ意である。
 之を今の時代に見るに、美玉はさて置き、瑾玉や欠玉でありながら、之れを衒ふて美玉となし、事実には十倍も百倍もの自家広告をなして、売らん哉、売らん哉としてゐる人が多い。さうかと思ふと又一面には、深く蔵れてゐる隠君子にして高い価を持つてゐる人もあるが、之は共に宜しくない。孰れも其の程度を得なければならぬものである。前者は固より排すべきである。が、後者の深く蔵れて世に出でざるも、人間としての使命に背くものである。
 一体人間が世に在る以上は、必ず務めがなければならぬものである。即ち各分に応じて、先づ之れを隣里に行ひ、更に進んでは之を郷党に及ぼし、国家社会にまで及ぼすべきである。君子の道は端を夫婦に発すと言はれてゐる程であつて、君子の道が一郷に行はるる様になれば、之れを広くすれば一郡、一県、一国に及び、社会を益する事となる。されば人は分に応じて社会の為めに尽すの責務あるを思ひ、大なる器を抱く人は国家社会に、小なる器の人は先づ之れを隣里に施すべきである。併しながら、此種の隠君子は極めて尠く、一般に自家広告的でなり、殊に近時此の傾向が著しくなつたのは誠に慨しい次第である。私は切に其の反省を促して已まぬものである。

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デジタル版「実験論語処世談」[52b](補遺) / 渋沢栄一
底本(初出誌):『実業之世界』第18巻第1号(実業之世界社, 1921.01)p.44-49
底本の記事タイトル:実験論語処世談 第九十三回 現代人の最大欠陥 / 子爵渋沢栄一