デジタル版「実験論語処世談」(17) / 渋沢栄一

7. 面白いが慎重を欠く

おもしろいがしんちょうをかく

(17)-7

 子路が若し思慮分別に富んだ人なら、孔夫子が厭世的嘆声を発せらるるのを聞くや否や、「これはこれは飛んでも無いことを仰せになるものかな、道が行はれぬからとて孤島に遁れようなぞとは、さてさて先生にも似合はぬ卑怯の御沙汰で厶らぬか」と、孔夫子の絶望なされた処を御諫め申上ぐるのが順当である。然し、子路には、師匠の為めとあれば水火をも辞せざる無類の勇気こそあれ、事に臨み冷静の態度で之に処する智慮が乏しかつたものだから、別に御諫め申上げようともせず、「我に従はんものは其れ由か」と弄戯ひ半分に仰せられた孔夫子の語を真面にうけて悦んだものらしく思へる。かく率爾に物事を判断する傾向が子路にある事を孔夫子は平素憂へて居られたものらしいが、又一方から観れば、「我に従はんものは其れ由か」と子路を見て弄戯ふやうな語を御発しになつた所に、孔夫子の弟子に対する御親みの温情が露れて居るとも稽へ得られるのである。
 子路は論語先進篇にも、「子路率爾として対へて曰く」とあるほど故、率爾な所のある智慮の到らぬガヤガヤした性質の人であつたのだが、根本は至極純朴で、孰れかと申せば少し奇人がかつて居つたらしく思へる。されば、孔夫子も直ぐ次の章句に於て孟武伯と申す御仁の問に対し、「由也千乗之国。可使治其賦也。」(由や千乗の国、其賦を治めしむべし。)と答へられ、由の器たるや、千乗の国たる諸侯の国の大将軍たるには適するが、「不知其仁也。」(その仁を知らざる也。)即ち救世済民の大政治家になれようとは思はぬと仰せられて居る。
 子路は余程変つた面白いところのあつた人と見え、衛の霊公の弟で国外にあつたものが本国へ帰つて来て、兄弟喧嘩の乱が起つた時には孰かに味方し、勇しく出陣した者であるが、合戦最中に冠が脱げて落ちるや、「君子は死すとも冠を脱せず」と古書にあるからとて、無理に其の落ちた冠を拾はうとした為め、其間に敵に斬られて死んだといふ事が、確か「孔子家語」に載せられてあつたやうに記憶する。然し平素の服装なぞには一向頓着しなかつた人らしい。服装には一向頓着せぬといふ事は、誰にでもできさうに見えて一寸できぬものである。それ丈けによつても子路が余程変つた面白い所のあつた人物たる事を知り得られる。

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キーワード
面白い, 慎重, 欠く
論語章句
【公冶長第五】 子曰、道不行、乗桴浮于海。従我者其由与。子路聞之喜。子曰、由也好勇過我。無所取材。
【公冶長第五】 孟武伯問、子路仁乎。子曰、不知也。又問。子曰、由也千乗之国、可使治其賦也、不知其仁也。求也何如。子曰、求也千室之邑、百乗之家、可使為之宰也、不知其仁也。赤也何如。子曰、赤也束帯立於朝、可使与賓客言也、不知其仁也。
【先進第十一】 子路・曾晳・冉有・公西華侍坐。子曰、以吾一日長乎爾、毋吾以也。居則曰、不吾知也。如或知爾、則何以哉。子路率爾而対曰、千乗之国、摂乎大国之間、加之以師旅、因之以饑饉、由也為之、比及三年、可使有勇且知方也。夫子哂之。求、爾何如。対曰、方六七十、如五六十、求也為之、比及三年、可使足民。如其礼楽、以俟君子。赤、爾何如。対曰、非曰能之、願学焉。宗廟之事、如会同、端章甫、願為小相焉。点、爾何如。鼓瑟希。鏗爾舎瑟而作、対曰、異乎三子者之撰。子曰、何傷乎。亦各言其志也。曰、莫春者、春服既成、冠者五六人、童子六七人、浴乎沂、風乎舞雩、詠而帰。夫子喟然歎曰、吾与点也。三子者出。曾晳後。曾晳曰、夫三子者之言、何如。子曰、亦各言其志也已矣。曰、夫子何哂由也。曰、為国以礼。其言不譲。是故哂之。唯求則非邦也与。安見方六七十、如五六十、而非邦也者。唯赤則非邦也与。宗廟会同、非諸侯而何。赤也為之小、孰能為之大。
デジタル版「実験論語処世談」(17) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.103-108
底本の記事タイトル:二二三 竜門雑誌 第三四一号 大正五年一〇月 : 実験論語処世談(一七) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第341号(竜門社, 1916.10)
初出誌:『実業之世界』第13巻第17,18号(実業之世界社, 1916.08.15,09.01)