2. 大仁と小仁
だいじんとしょうじん
(17)-2
然し、佞にはさつぱりとしたところの無いもので、何か一物を胸に蔵して置いて、我が私利私慾を遂げんが為めに他人に取り入り、他人の手前を繕ひ、他人に附和雷同し、甚だしきに至つては自分の私利私慾を遂げる邪魔になる人を陥れようとしたりなぞするものである。
岩倉具視公なぞは略はあつたが、決して佞人と申上ぐべきもので無い。実にさつぱりしたところのあらせられた御仁である。智恵があつても、その智恵は私利私慾を伴はず、実に純粋な清いものであつたのである。故に若し、相公(三条実美公)を情に於て清かつた人とすれば、岩倉公は智に於て清かつた人とでも評すべきであらうかと思ふのである。
- デジタル版「実験論語処世談」(17) / 渋沢栄一
-
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.103-108
底本の記事タイトル:二二三 竜門雑誌 第三四一号 大正五年一〇月 : 実験論語処世談(一七) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第341号(竜門社, 1916.10)
初出誌:『実業之世界』第13巻第17,18号(実業之世界社, 1916.08.15,09.01)