デジタル版「実験論語処世談」(17) / 渋沢栄一

8. 子路の如き人物あり

しろのごときじんぶつあり

(17)-8

 人には何れ位の程度までの勇気があつて可いものか、それを限定するのは難事である。子路ぐらゐの勇気さへも孔夫子は向ふ見ず過ぎると戒められて居る。ただに勇気のみならず、礼の如きも余りに過ぎるとそれが却つて諛ふといふ事になる。何事につけ其処に過不及の無いやうにするのは、一に修養の力によらねばならぬものである。孔夫子は、子路に向ふ見ずな勇に過ぎる病所のある事を十分に御承知であらせられたに相違ないが、傍に置くと何処となくきさくで面白いものだから、遊説の時なぞも始終御同道になり、又弄戯つたりなぞして面白がつて居られたものと察せられる。然し、これが為に自惚根性を子路に起させるやうなことがあつては、当人の不為であるとの賢慮から、時々斯の章句にあるやうな訓戒を与へられたものと思はれる。
 誰々が斯うであると明かに指名して申上ぐるわけには参らんが、実業界なぞにも子路の如き人物は却々に尠く無い。交際つて見れば至極面白い、腹に奸曲な蟠りなど申すものが一切無く、天真爛漫で竹を割つたやうな性分は、接して見ただけでは如何にも心持が可い。然し、さういふ風の人の言つたり考へたりする処には、什麽しても原因結果の関係を十分に考慮して居らなかつたりなぞして手抜かりが多いから浮つかり賛成のできぬものである。随つて、斯る人の考へたところ言ふ所は、如何に面白いからとて直ぐにそれに惚れて賛成し、実行でもしようとすれば飛んでも無い災難を招かねばならなかつたり、或は酷い目に遭はねばならぬやうな羽目に陥つたりするものである。されば飄逸で面白く、向ふ見ずな天真爛漫な所のある人の言行に対しては面白いからとて直ぐ之に賛同するやうなことをせず、賛同する前に十分慎重に考慮し、その上で是非賛否を決すべきものである。さうで無いと意外の迷惑を自分が招くのみならず、他人へも御迷惑を懸けたりなぞする事になる。否な当人に取つても甚だ面白からぬ結果を将来する事にもなるものである。この点は深く注意を要する。

全文ページで読む

キーワード
子路, 人物
デジタル版「実験論語処世談」(17) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.103-108
底本の記事タイトル:二二三 竜門雑誌 第三四一号 大正五年一〇月 : 実験論語処世談(一七) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第341号(竜門社, 1916.10)
初出誌:『実業之世界』第13巻第17,18号(実業之世界社, 1916.08.15,09.01)