デジタル版「実験論語処世談」(17) / 渋沢栄一

6. 子路は天真爛漫の人

しろはてんしんらんまんのひと

(17)-6

子曰。道不行。乗桴浮于海。従我者。其由与。子路聞之喜。子曰。由也好勇過我。無所取材。【公冶長第五】
(子曰く、道行はれずんば、桴に乗りて海に浮ばん。我に従はん者は其れ由かと。子路之を聞きて喜ぶ。子曰く、由や勇を好むこと我に過ぐれども、取り材る所なし。)
 私の如きものすら政府の措置が余り面白く無かつたりなぞ致すと、ムシヤクシヤして来て田舎にでも引つ込んでしまはうかといふやうな気に満更ならぬでも無かつたものだが、孔夫子も矢張時には爾んな気になられた事のあるものと見え、茲に掲げた章句に於て、「什麽したところで、我が説く道は行はれさうも無いから、モウモウ道を説くことなぞは廃めにしてしまひ、筏にでも乗つて海に出かけ、絶海の孤島に浮世離れをした暢気な生活でも営みたいものだ。その時には定めし子路が一緒に行つてくれるだらうな」と仰せになつたのである。如何にも厭世的な嘆息であるかの如くに聞えるが、斯の言は道の行はれざるに感慨せられた余り、孔夫子の御漏しになつた嘆息で、必ずしも之を実行せられようとしたのでは無い。既に前条にも申述べたことがあるやうに、大槻磐渓先生などは「浮于海」を「海に浮ぶやうなことにもならば」といふ意味に解釈すべきであると説かれて居る。或は爾う解釈するのが穏当であらうかとも思ふ。
 「由」とは子路の名であるが、「夫子が愈よ浮世を棄てて絶海の孤島に隠遁する段ともならば、由よ、貴公は一緒に行くだらうな」と、師匠の孔夫子から声が懸つたので、子路は之を聞くや、孔夫子が自分を知つて下された知己の言葉に感泣し、大に悦んだのである。然し、孔夫子は子路が斯く悦ぶのを見て却て憂へられ、「子路には向ふ見ずの天真爛漫な処はあるが、什麽もあの通りで、思慮分別が足らぬから困る」と、大に子路を戒められたのが即ち茲に掲げた章句である。

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デジタル版「実験論語処世談」(17) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.103-108
底本の記事タイトル:二二三 竜門雑誌 第三四一号 大正五年一〇月 : 実験論語処世談(一七) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第341号(竜門社, 1916.10)
初出誌:『実業之世界』第13巻第17,18号(実業之世界社, 1916.08.15,09.01)