デジタル版「実験論語処世談」(17) / 渋沢栄一

1. 仁は英雄豪傑の事

じんはえいゆうごうけつのこと

(17)-1

或曰。雍也仁而不佞。子曰。焉用侫。禦人以口給。屡憎於人。不知其仁。焉用侫。【公冶長第五】
(或人曰く、雍や仁にして佞ならず。子曰く、焉ぞ佞を用ゐん。人に禦るに口給を以てすれば、屡々人に憎まる。其仁を知らず、焉ぞ佞を用ゐん。)
 今回より「公冶長」篇に入るのであるが、例によつてポツポツ抜いて、私が処世実験用に裨益を受けたる章句に就き、所感を談話することに致す。
 却説、茲に掲げた章句にある雍と申さるる方は、姓を冉、字を仲弓と称せられた孔夫子十哲中の一人で、人為り至つて重厚、言語に乏しく簡黙の性質であるらしかつた。是に於てか、或る人が雍を評して孔夫子に告げ申さるるには、「雍は如何にも仁者であるには相違ないが当今の世の中で苟も立身出世を致さうとならば、あんな調子では到底駄目だ。最う少し利巧に立ち廻つて、弁口なども爽かに、侫の分子が無ければならぬものだ。然るに惜哉、雍には其れが無い」と斯う申したのである。
 然るに孔夫子は斯の言に対し、雍に佞の分子なく言辞に訥なるを御咎めにならず、却て雍には未だ仁者を以て目せらるるに足るほど十分の徳を具へて居らぬのを遺憾に思ふ旨を述べられ、「人は弁口を揮つて他人に取り入る必要なぞの無いものである。弁口を揮つて人と折衝し、我が意を遂げようとすれば却つて数々人に憎まるる恐れのあるものだ。決して佞を施す必要は無い。その点は雍の如くで不可は無いがまだ雍に許すに仁を以てするのは早い」と仰せられたのである。
 仁は至大至正の質で、管仲が桓公を相け、公をして諸侯国を統一するに兵馬を用ひしめぬやうにしたのが是れ仁であると、孔夫子は論語「憲問」篇の中に説かれたほどのものである。又孔夫子は「雍也」篇に於ても、博く民を施して能く衆を済ふのが是れ仁であると言はれ、又韓退之は、博く愛するのが仁であると説いて居る。然し斯くの如きは英雄豪傑に非ずんば為し得ざる処のもので、仲弓の重厚簡黙を以てしても猶ほ達し得られぬところである。是に於てか、孔夫子は仁を重んずるの余り、之を仲弓に許されなかつたものと思はれる。

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デジタル版「実験論語処世談」(17) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.103-108
底本の記事タイトル:二二三 竜門雑誌 第三四一号 大正五年一〇月 : 実験論語処世談(一七) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第341号(竜門社, 1916.10)
初出誌:『実業之世界』第13巻第17,18号(実業之世界社, 1916.08.15,09.01)