デジタル版「実験論語処世談」(18) / 渋沢栄一

1. 一を聞いて十を知る人は稀

いちをきいてじゅうをしるひとはまれ

(18)-1

子謂子貢曰。女与回也孰愈。対曰。賜也何敢望回。回也聞一以知十賜也聞一以知二。子曰。弗如也。吾与女弗如也。【公冶長第五】
(子、子貢に謂て曰く、汝と回と孰れか愈れる。対て曰く、賜や何ぞ敢て回を望まん。回や一を聞いて以て十を知る、賜や一を聞く二を知るのみ。子曰く、如かざる也、吾は汝の如かざるに与みせん。)
 茲に掲げた章句のうちの「回」とは顔回のことであるが、「賜」は子貢の名である。一日孔夫子は子貢に向はれ、「顔回と貴公と孰れの方が豪らからうかな?」と御問ひになつたのである。すると子貢は、「私なぞは兎ても顔回に及びません、顔回は一を聞いた丈で能く十を知るが、私は一を聞いて二を知り得たらそれで既う精々で厶います」と、自分の顔回に及ばざる所以を述べたのである。之を耳にせられた孔夫子は、子貢が己れの愚を知る明があるのを深く賞せられ、「如何にも其の通りで、貴公は顔回に及ばぬが、及ばぬ事を知つてるところが豪いのだ」と仰せになつたといふのが、この章句の意味である。
 顔回の如く一を聞いたのみで、それからそれへと察しをつけ、能く十を知り得るまでに頭脳の働く人は滅多にあるもので無い。否、子貢の如く一を聞いて二を知り得る人さへ、容易に世間には在るもので無いのである。大抵の人は一を聞いても、其の一をすら満足に理解らずにお茶を濁して居るばかりである。然しそれでも自惚だけは相応に強く、己の愚を覚らずして、一と廉の才子ででもあるかの如く思うて挙動ひ、為に却つて大きな過失を仕出来すことになる。又、一を聞いて十を知るといふ事も、顔回の如く学問上に於てならば格別だが、一概に結構な性分であるとのみ謂ひ得られない場合がある。

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デジタル版「実験論語処世談」(18) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.110-118
底本の記事タイトル:二二五 竜門雑誌 第三四二号 大正五年一一月 : 実験論語処世談(一八) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第342号(竜門社, 1916.11)
初出誌:『実業之世界』第13巻第19,20号(実業之世界社, 1916.09.15,10.01)