デジタル版「実験論語処世談」(18) / 渋沢栄一

3. 陸奥伯に丈夫の志無し

むつはくにじょうふのこころざしなし

(18)-3

 外務大臣をなされたことのある陸奥宗光伯は、平岡円四郎と殆ど全く同型の人で、一を聞いて十を知る機敏な頭脳を持つて居られたかのやうに思はれる。兎角一を聞いて十を知る質の人は、余りにさき廻りをするので、他人に厭やがれる[厭やがられる]傾きのあるものだが、陸奥伯には爾んな傾向がなく至つて交際ひ易い人であつた。随つて平岡円四郎のやうに非業の最期をも遂げず、畳の上で死ぬことが出来たのである。
 私は陸奥伯を一寸御世話申した縁故があるところより、伯は欧羅巴に出張して居られる間も始終私の許に文通せられたもので、私は伯の手簡を数百通も所持して居る。知人から私に送られた手簡のうちで伯のが一番に数が多からうと思ふ。伯も平岡円四郎のやうに、一寸したことを聞いた丈けでそれからそれへと考へを進めて往き、事を未然に察知するまでの才智のあつた人だが、孰らかと謂へば金銭と権勢とに動かされ易く、一身の利達を謀らんが為めには形勢を察して金銭と権勢とのあるところに就くを辞さなかつたらしく、大丈夫の志が無かつた人のやうに思へる。それから妙に他人を凌ぐやうな傾向があつて、談話などでも自分の才智に任せて対手を圧迫して来る如き気味合を示したものである。之が為め、多少他人から厭がれた[厭がられた]こともあらうが、交際は至つて如才のなかつた方である。

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キーワード
陸奥宗光, 丈夫,
デジタル版「実験論語処世談」(18) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.110-118
底本の記事タイトル:二二五 竜門雑誌 第三四二号 大正五年一一月 : 実験論語処世談(一八) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第342号(竜門社, 1916.11)
初出誌:『実業之世界』第13巻第19,20号(実業之世界社, 1916.09.15,10.01)