デジタル版「実験論語処世談」(18) / 渋沢栄一

9. 強慾の者は誘はる

ごうよくのものはいざなわる

(18)-9

 されば、孔夫子が、従来曾て剛者と目すべき人を見たことが無い、実に遺憾の至りである、と歎声を発せられたるに対し、或人が傍より「御弟子の申棖ならば剛者と申してもよろしからう」と申上げると、「あれは、慾が深いから、見た所剛さうでも駄目だ」と仰せられたのである。如何にも孔夫子の言の通りで、慾が深いと名利を以て誘はるれば直に之に誘はれてしまひ、正義の上に立つて剛くウンと踏ん張ることのできぬものである。慾の深い人は斯く単に名利に誘はれて不義に与みし易い弱点があるのみならず、不義に与みせぬと苦しい目に遭はすぞと威嚇されるとか、或は又正義に与みすれば窮乏の境遇に陥らねばならぬといふことが明かに見えでもすれば、直ぐ弱くなつて不義に屈してしまふものである。
 斯る次第で、慾の強い人ほど不義に対しては却つて弱く、慾に淡い人ほど正義に立つて剛いものである。慾の強い人は快楽によつても誘はれるが、又苦痛によつても誘惑されるものである。何故慾のあるものは斯く苦楽に対して弱いかといふに、慾が強いと如何しても人に求むる所が多く、人に求むる所が多いと、また如何しても剛く出られぬことになるからである。慾の強い人は決して剛毅の人たるを得るもので無い。

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キーワード
強慾, , 誘ふ
デジタル版「実験論語処世談」(18) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.110-118
底本の記事タイトル:二二五 竜門雑誌 第三四二号 大正五年一一月 : 実験論語処世談(一八) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第342号(竜門社, 1916.11)
初出誌:『実業之世界』第13巻第19,20号(実業之世界社, 1916.09.15,10.01)