デジタル版「実験論語処世談」(18) / 渋沢栄一

8. 無慾の者は勇気あり

むよくのものはゆうきあり

(18)-8

子曰。吾未見剛者。或対曰。申棖。子曰。棖也慾。焉得剛。【公冶長第五】
(子曰く、吾れ未だ剛者を見ず。或人対へて曰く、申棖かと。子曰く、棖や慾あり、焉んぞ剛を得ん。)
 茲に掲げた章句は慾のある者は却て真正の勇気に乏しく、人は無慾恬淡にして初めて真の勇者となり、強者たるを得べきものであると教へたものである。孔夫子の如く物慾に恬淡で、サツパリして居らるる仁の眼から世間の人々を見渡されたら、定めし皆が意気地無しの弱虫になつて見えたものだらうと思はれる。俗に「強慾」と申す語のあるほどで、慾には如何にも強い所があるやうにも稽へられるが、決して爾うで無い。
 孔夫子が斯の章句に説かれた「剛」の字は「強」の字と稍々其意を異にし、義しい観念の上に立つて踏ん張る時の勇気を指したもので、「剛毅」といふ熟字を作るに用ひらるる「剛」と同じ意味の「剛」である。人の行為の中で何が一番に剛毅な所行であるかと謂へば、申すまでも無く孔夫子の所謂「身を殺して仁を成す」事である。人に取つて死を何とも思はぬほど剛い事は無いのであるが、慾があつては兎ても、我が身を殺して他人の為めに仁を成すことなぞの出来るものでは無い。

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デジタル版「実験論語処世談」(18) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.110-118
底本の記事タイトル:二二五 竜門雑誌 第三四二号 大正五年一一月 : 実験論語処世談(一八) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第342号(竜門社, 1916.11)
初出誌:『実業之世界』第13巻第19,20号(実業之世界社, 1916.09.15,10.01)